進研模試の結果が返ってきました。どんな結果だったでしょうか。各科目や合計点、あるいは大学合格可能性判定ばかりに気をとられていませんか。
1..外科的治療
模試結果の端から端まで眺めましょう。どの科目が悪いのか、どの分野が得点できていないのか、慎重に確認すべきです。
怪我をして、だらだらと出血している状態をイメージしてください。もし自分の体が事故にあって出血していたら、止血をしたり手術をしますね。輸血をするかもしれません。
今、君たちの点数を眺めて、極端に不得意科目や不得意分野があれば、君たちの学力はそういう怪我をして、出血している状態です。痛くないですか。そのような分野がある人は、即座に治療に入りましょう。対策を立ててください。大幅な手術が必要かもしれません。【裏面のstep3を検討します】
さて、治療によりどの程度の回復を見込むべきなのでしょうか? それは志望大学の合格可能性に注目です。そこには「950点中あと○○点でB」などと、記されているはずです。これが回復目標となります。具体的にこの教科で○○点、この分野で○○点というように、具体的にイメージし、治療方針を決定します。【step2】
2.リハビリテーション
話は大きく変わって、受験勉強体制に入るリハビリ方法です。これまで部活動を行ってきた生徒は、放課後になると体を動かしたくなる習性が身についています。おそらくお天道様が高いうちに、自宅の机に向かったことがないのではないでしょうか(笑)。このような生徒には、太陽が高いうちでも、机に向かえる体に作り替える必要があるでしょう。
それにはやはり、強制的に机に縛り付け、慣れてもらうしかありません。そこで図書館などでみんなが自習している環境に身を置きましょう。そして強制的にやらざるを得ない状態にするのがよいでしょう。本校でも図書館は開いています。休みの日でも教室で勉強に励むものもいるようです。生活創造センターの1Fに陣取っている生徒もいます(一般者に迷惑をかけない配慮が必要ですが)。
3.内科的問題
ついでに内科的コメント。様々な診断結果の数値を「ああだ、こうだ」とこねくり回す(?)のが、内科です。反対に、ぐちゃぐちゃ言ってねぇで、切って開けて見りゃ分かるだろう、というのが外科です(笑)。地歴について、数値から気づいたことをコメントします。成績のいい生徒とこれからの生徒を比較すると、最近学習した内容はどちらの生徒もそれほど成績に変わりがありません。しかしかなり以前に学習した内容に大きな得点差があることが判明しました。つまり、
・優良成績者:以前の学習内容を復習できている・成績不良者:最近学習分はできるが、過去のことは忘れている。
ということが分かりました。このことは地歴だけでなく、理科など内容教科にも言えるのではないでしょうか。数学の先生におたずねすると、数学もIやⅡの内容は忘れているものが多い。ということでした。3年の夏休みですから、体系的に復習することも考えましょう。
2009年8月23日日曜日
体育祭または農村社会におけるハレ
本稿の目的は、現代の消費社会と高校体育祭は相容れないことを説明することである。体育祭が学校社会におけるハレであることを説明するような当たり前のことを述べようとしているわけではない。しかしその前提がなければ、話が進まないので、まずその点から始める。
民俗学では、生活時間をハレとケに分けて考えている。ハレとは「晴れ着」とか「晴れ姿」「晴れ舞台」のハレである。祝い事や祭りなどの非日常的な場面(時間)をハレとよんでいる。一方ケとはハレではない日常的な場面のことを指している。そしてハレとケは交代してあらわれると考えるのである。さて学校生活は前近代的な空間を残しているので、ハレとケを用いて民俗学的に説明できる。すなわち体育祭や文化発表会、球技大会、修学旅行などの学校行事はハレであり、通常の授業日がケというわけだ。卒業式や入学式もハレであるが、イニシエーション(通過儀礼)の意味も大きいと思っている。
以上は、民俗学をかじっていれば、まあ考えつきそうな議論である。
さて、このようにハレとケを学校に当てはめるためには、学校社会が前近代的な空間であることが必要である。
と、ここまで書いたところで(その時点で6月26日)、6月進研模試が返ってきました(7月2日)。そのことを書かなくてはならない、と決心しましたので、このエッセイの後段は次号とします。
民俗学では、生活時間をハレとケに分けて考えている。ハレとは「晴れ着」とか「晴れ姿」「晴れ舞台」のハレである。祝い事や祭りなどの非日常的な場面(時間)をハレとよんでいる。一方ケとはハレではない日常的な場面のことを指している。そしてハレとケは交代してあらわれると考えるのである。さて学校生活は前近代的な空間を残しているので、ハレとケを用いて民俗学的に説明できる。すなわち体育祭や文化発表会、球技大会、修学旅行などの学校行事はハレであり、通常の授業日がケというわけだ。卒業式や入学式もハレであるが、イニシエーション(通過儀礼)の意味も大きいと思っている。
以上は、民俗学をかじっていれば、まあ考えつきそうな議論である。
さて、このようにハレとケを学校に当てはめるためには、学校社会が前近代的な空間であることが必要である。
と、ここまで書いたところで(その時点で6月26日)、6月進研模試が返ってきました(7月2日)。そのことを書かなくてはならない、と決心しましたので、このエッセイの後段は次号とします。
体育祭黄団優勝で終わる
理系バカと文系バカ
本の紹介である。
「理系バカと文系バカ」竹内薫著 PHP新書(720円)
次にあげた10の質問に「YES」「NO」で答えよう。
①血液型診断や占いが気になって仕方ない
②取り扱い説明書は困ったときにしか読まない
③たいていのことは「話せば分かる」と信じている
④ダイエットのために「カロリーゼロ」のドリンクをがぶ飲みしてしまう
⑤アミノ酸、カルニチン、タウリンなどのカタカナ表示にすぐ飛びつく
⑥「社会に出ると因数分解なんて必要ない」と言ったことがある
⑦「インド式数学」を学ぶより、電卓を使えばいいと思っている
⑧何でも平均値で物事を判断してしまう
⑨抗菌コートのトイレじゃないと入りたくない
⑩物理学と聞いただけで「難しくて分からない」と思ってしまう
続いて
①できれば他人と深く関わりたくない
②新型、最新テクノロジーの商品を買うために徹夜してでも並ぶ
③相手の関心のないことを延々と話す―女性との会話も下手
④独善的で、いつのまにか相手を怒らせている
⑤「もっと分かりやすく説明して」と、よく言われる
⑥分からないことは、何でもネットで検索してしまえ
⑦感動するポイントが人とズレている
⑧文系より理系の方が人間として「上」だと信じている
⑨UFOや心霊現象について語ることは犯罪に近いと思う
⑩意外とオカルトにハマりやすい
このチェックの解説は、本書で読もう。
①~⑩まで2種類の質問を用意しましたが、どちらが「理系バカ」、「文系バカ」かは考えれば分かるでしょう。
そもそも、日本人は理系と文系に分けることが多いように思います。その端緒は実は、高校教育界にあるのではないでしょうか。例えば、進路指導をするときに、文系にいくか理系にいくかという指導がまず1年生のときに行われます。さらに理系・文系でクラスを固定し、途中クラス上文転、理転はできないことになっています。受験上、できないことはないですが、困難を伴います。かつては、理系クラスの担任をもった時には、「文転すると浪人覚悟だよ」などといって、脅したりしていました(笑)。
理系と文学部の両方に学科がある地理学を学び、自然地理と人文地理の間を行き来している私としては、理系だとか文系だとかいっている場合ではないのであって、理系的発想も文系的発想もどちらも重要なのである。むしろ両者を横断的に行き来できる思考力こそ大事なのである、と思っています。
近年、京大の理系学部で国語が入試に加わったり、国公立経済学部で数学が入試科目になったりしていますが、これが単なる理系重視ではなく、文理融合を目指す動きであってほしいものです。
「理系バカと文系バカ」竹内薫著 PHP新書(720円)
次にあげた10の質問に「YES」「NO」で答えよう。
①血液型診断や占いが気になって仕方ない
②取り扱い説明書は困ったときにしか読まない
③たいていのことは「話せば分かる」と信じている
④ダイエットのために「カロリーゼロ」のドリンクをがぶ飲みしてしまう
⑤アミノ酸、カルニチン、タウリンなどのカタカナ表示にすぐ飛びつく
⑥「社会に出ると因数分解なんて必要ない」と言ったことがある
⑦「インド式数学」を学ぶより、電卓を使えばいいと思っている
⑧何でも平均値で物事を判断してしまう
⑨抗菌コートのトイレじゃないと入りたくない
⑩物理学と聞いただけで「難しくて分からない」と思ってしまう
続いて
①できれば他人と深く関わりたくない
②新型、最新テクノロジーの商品を買うために徹夜してでも並ぶ
③相手の関心のないことを延々と話す―女性との会話も下手
④独善的で、いつのまにか相手を怒らせている
⑤「もっと分かりやすく説明して」と、よく言われる
⑥分からないことは、何でもネットで検索してしまえ
⑦感動するポイントが人とズレている
⑧文系より理系の方が人間として「上」だと信じている
⑨UFOや心霊現象について語ることは犯罪に近いと思う
⑩意外とオカルトにハマりやすい
このチェックの解説は、本書で読もう。
①~⑩まで2種類の質問を用意しましたが、どちらが「理系バカ」、「文系バカ」かは考えれば分かるでしょう。
そもそも、日本人は理系と文系に分けることが多いように思います。その端緒は実は、高校教育界にあるのではないでしょうか。例えば、進路指導をするときに、文系にいくか理系にいくかという指導がまず1年生のときに行われます。さらに理系・文系でクラスを固定し、途中クラス上文転、理転はできないことになっています。受験上、できないことはないですが、困難を伴います。かつては、理系クラスの担任をもった時には、「文転すると浪人覚悟だよ」などといって、脅したりしていました(笑)。
理系と文学部の両方に学科がある地理学を学び、自然地理と人文地理の間を行き来している私としては、理系だとか文系だとかいっている場合ではないのであって、理系的発想も文系的発想もどちらも重要なのである。むしろ両者を横断的に行き来できる思考力こそ大事なのである、と思っています。
近年、京大の理系学部で国語が入試に加わったり、国公立経済学部で数学が入試科目になったりしていますが、これが単なる理系重視ではなく、文理融合を目指す動きであってほしいものです。
2009年6月22日月曜日
あなたは右回りですか、左回りですか その3
この記事も、前年度分です。その1をアップしただけで、ほったらかしにしていました(-_-;)
前回の出題:長い砂浜の海水浴場があります。浜辺には海浴客が均質(ランダム)に存在しています。そ浜辺にアイスクリーム屋さんが屋台を出しまた。どこにお店を出すのがいいかと聞かれれば中央部だと答えるでしょう。
さて、この浜辺にもう一軒のアイスクリームさんがやって来て、お店を出そうとしていますどこに出すのが良いのでしょうか。またこの立戦争は、最終的にどうなるのでしょう(最終的に軒のお店はどこに立地しますか)。二店の商品類、品質、値段は同じです。非価格競争はないものとします
解答例:最初に中央に出したお店をAとします。次に別のお店が出店しました。これをBとします。下の図のようなイメージです(図省略)。
すると、Aは、客を奪われます(お客さんはAとBの中点で、分かれます)から、AはBの屋台側にすり寄っていきます。
次に客を奪われたB店はAを飛び越え、左側に屋台を移すものと思われます。そうなると今度は、Aは右へ移動し、B店に接近します。
こうしたことを繰り返すうちに最終的には、砂浜の中間点でAとBは屋台を背中合わせにして、商売をするものと考えられます。海水浴客の半分ずつを相手にする状況で安定するでしょう。
では今度は、直線的な砂浜ではなく、平野の真ん中でお店をつくればどうなるでしょうか。さらには種類の豊富な大きなアイスクリーム屋さんと小さなアイスクリーム屋さんならどうなるでしょうか…。と話しは続くのですが、もう説明する時間がないので、結論だけを書いておきますと、二つのお店の勢力圏は、店の大きさに比例し、距離のX乗に反比例します。何か思い出しませんか。物体の重力に比例し、距離の2乗に反比例すると言えば、万有引力の法則です。経済学(経済地理)の世界では、これを重力モデルと呼んでいます(帰納法的にはX乗は2乗だといわれています)。
ちょっと話しが難しくなりました(途中をはしょったので仕方がありません)。まあ「職員室へ行くとき、右回りか左回りかという問題も、突き詰めていけば、万有引力の法則とつながる」という話しでした(詳しいことは3年の後半に授業でやります)。
前回の出題:長い砂浜の海水浴場があります。浜辺には海浴客が均質(ランダム)に存在しています。そ浜辺にアイスクリーム屋さんが屋台を出しまた。どこにお店を出すのがいいかと聞かれれば中央部だと答えるでしょう。
さて、この浜辺にもう一軒のアイスクリームさんがやって来て、お店を出そうとしていますどこに出すのが良いのでしょうか。またこの立戦争は、最終的にどうなるのでしょう(最終的に軒のお店はどこに立地しますか)。二店の商品類、品質、値段は同じです。非価格競争はないものとします
解答例:最初に中央に出したお店をAとします。次に別のお店が出店しました。これをBとします。下の図のようなイメージです(図省略)。
すると、Aは、客を奪われます(お客さんはAとBの中点で、分かれます)から、AはBの屋台側にすり寄っていきます。
次に客を奪われたB店はAを飛び越え、左側に屋台を移すものと思われます。そうなると今度は、Aは右へ移動し、B店に接近します。
こうしたことを繰り返すうちに最終的には、砂浜の中間点でAとBは屋台を背中合わせにして、商売をするものと考えられます。海水浴客の半分ずつを相手にする状況で安定するでしょう。
では今度は、直線的な砂浜ではなく、平野の真ん中でお店をつくればどうなるでしょうか。さらには種類の豊富な大きなアイスクリーム屋さんと小さなアイスクリーム屋さんならどうなるでしょうか…。と話しは続くのですが、もう説明する時間がないので、結論だけを書いておきますと、二つのお店の勢力圏は、店の大きさに比例し、距離のX乗に反比例します。何か思い出しませんか。物体の重力に比例し、距離の2乗に反比例すると言えば、万有引力の法則です。経済学(経済地理)の世界では、これを重力モデルと呼んでいます(帰納法的にはX乗は2乗だといわれています)。
ちょっと話しが難しくなりました(途中をはしょったので仕方がありません)。まあ「職員室へ行くとき、右回りか左回りかという問題も、突き詰めていけば、万有引力の法則とつながる」という話しでした(詳しいことは3年の後半に授業でやります)。
あなたは右回りですか、左回りですか。 その2
前回、職員室2年学年団から、2組教室へ行く際、西回りが近いにもかかわらず、東回りの先生が多いと述べた。その具体的データを示したい。職員に個々のインタビュー調査をした結果を以下に示す。
・K先生:3組は東回りと西回りで半々
・K先生・F先生・M先生:2組は東回り、3組は西回り
・T先生・T先生:3組は東回り、4組は西回り
・O先生:1組は東回り、2組は西回り
他の先生は、2組には行かないと解答。

では、2組生徒はどうなのだろうか。教室から職員室の学年の先生に会いに行くとき、どちら回りで行くかを尋ねた。その結果、西回りが12人、東回りが20人、行かないが1人となり、職員と同様の傾向を示している。つまり遠回りをする生徒が多そうだ。この点については、検討をおこなう。それは職員室からの中間点が前入り口から6歩のところだということを考慮する必要があるだろう。教室の前後の入り口幅は9歩なので、6歩というのは、教室(教壇を除く空間)を2:1に分割するラインである。このラインを教室に延長したものが、職員室学年団との等距離線である。2組生徒の座席が教壇を除く教室空間に、均質に分布すると仮定すると、40人を2:1に分けるように圏域が形成されるはずである。すなわち、東回りには13.3人、西回りには26.6人程度に分かれるはずで。これが理論値である(この場合、調査の精度上、少数以下第一位に意味はないので、13人、27人と考える)。

ところが、表に示したように、2組生徒への調査の結果は、逆の人数を示している。やはりここには、距離感覚を狂わせる要因、遠回りしてでも得られる正の要因、または近道に存在する負の要因があると考察できる。
自然科学においては、理論の構築やその精緻化にそれなりの意味があるが、人間を扱う社会科学(人文科学)においては、考慮すべき条件が多すぎで、理論化が困難である。そこでこのような単純モデルと現実との残差を追究することが重要になってくる(このことは前号で前述した)。
そこで、学年の先生に尋ねると、
・中庭を通して、HR教室が見えるので、感覚的に狂うのではないか。
・行きと帰りで一周する事が多い。近さは意識していない。
・3年生の学年団になれば、座席位置の関係で、必ず東回りになるのだが…
などの意見がみられた。
筆者の意見としては、生徒との対面接触を避ける。あるいは混んでいる廊下を避けるため、できるだけHR教室前を通らないのではないかと考えと、上記意見にあるように、職員室の窓から2組が東側に見えているので、そちらに歩いてしまう、という意見に賛成である。
さて、この研究に何の意味があるのか、という問題である。最初に以下の問題を考えて見ましょう。
「長い砂浜の海水浴場があります。浜辺には海水浴客が均質(ランダム)に存在しています。その浜辺にアイスクリーム屋さんが屋台を出しました。どこにお店を出すのがいいかと聞かれれば、中央部だと答えるでしょう。
海岸
●
アイスクリームの屋台
この部分はワープロで作ったのでうまく反映されていません(多謝)
さて、この浜辺にもう一軒のアイスクリーム屋さんがやって来て、お店を出そうとしています。どこに出すのが良いのでしょうか。またこの立地戦争は、最終的にどうなるのでしょう(最終的に2軒のお店はどこに立地しますか)。二店の商品種類、品質、値段は同じです。ハンサムなお兄さんが店員だとか、オマケなどの非価格競争はないものとします。
・K先生:3組は東回りと西回りで半々
・K先生・F先生・M先生:2組は東回り、3組は西回り
・T先生・T先生:3組は東回り、4組は西回り
・O先生:1組は東回り、2組は西回り
他の先生は、2組には行かないと解答。

では、2組生徒はどうなのだろうか。教室から職員室の学年の先生に会いに行くとき、どちら回りで行くかを尋ねた。その結果、西回りが12人、東回りが20人、行かないが1人となり、職員と同様の傾向を示している。つまり遠回りをする生徒が多そうだ。この点については、検討をおこなう。それは職員室からの中間点が前入り口から6歩のところだということを考慮する必要があるだろう。教室の前後の入り口幅は9歩なので、6歩というのは、教室(教壇を除く空間)を2:1に分割するラインである。このラインを教室に延長したものが、職員室学年団との等距離線である。2組生徒の座席が教壇を除く教室空間に、均質に分布すると仮定すると、40人を2:1に分けるように圏域が形成されるはずである。すなわち、東回りには13.3人、西回りには26.6人程度に分かれるはずで。これが理論値である(この場合、調査の精度上、少数以下第一位に意味はないので、13人、27人と考える)。

ところが、表に示したように、2組生徒への調査の結果は、逆の人数を示している。やはりここには、距離感覚を狂わせる要因、遠回りしてでも得られる正の要因、または近道に存在する負の要因があると考察できる。
自然科学においては、理論の構築やその精緻化にそれなりの意味があるが、人間を扱う社会科学(人文科学)においては、考慮すべき条件が多すぎで、理論化が困難である。そこでこのような単純モデルと現実との残差を追究することが重要になってくる(このことは前号で前述した)。
そこで、学年の先生に尋ねると、
・中庭を通して、HR教室が見えるので、感覚的に狂うのではないか。
・行きと帰りで一周する事が多い。近さは意識していない。
・3年生の学年団になれば、座席位置の関係で、必ず東回りになるのだが…
などの意見がみられた。
筆者の意見としては、生徒との対面接触を避ける。あるいは混んでいる廊下を避けるため、できるだけHR教室前を通らないのではないかと考えと、上記意見にあるように、職員室の窓から2組が東側に見えているので、そちらに歩いてしまう、という意見に賛成である。
さて、この研究に何の意味があるのか、という問題である。最初に以下の問題を考えて見ましょう。
「長い砂浜の海水浴場があります。浜辺には海水浴客が均質(ランダム)に存在しています。その浜辺にアイスクリーム屋さんが屋台を出しました。どこにお店を出すのがいいかと聞かれれば、中央部だと答えるでしょう。
海岸
●
アイスクリームの屋台
この部分はワープロで作ったのでうまく反映されていません(多謝)
さて、この浜辺にもう一軒のアイスクリーム屋さんがやって来て、お店を出そうとしています。どこに出すのが良いのでしょうか。またこの立地戦争は、最終的にどうなるのでしょう(最終的に2軒のお店はどこに立地しますか)。二店の商品種類、品質、値段は同じです。ハンサムなお兄さんが店員だとか、オマケなどの非価格競争はないものとします。
ホグワーツでは何故クリスマスを祝うのか その5
これまでの考察では、中世キリスト教の浸透とともに、在来のアニミズムや民間信仰を駆逐し、最終的には魔女狩りのような形で弾圧をしていった過程を明らかにした。ではなぜ、魔法使いたちが弾圧者側のキリスト教の祭りであるクリスマスを祝うのかという問題を論じたい。
クリスマス(Christmas)とは、キリストのミサの意味である。つまりイエスの誕生日であるかのように言われるが、事実はそうではない。新約聖書では誕生日を特定する記述はない。歴史学ではイエスの生誕は夏であろうと推定する説も見られる。
クリスマスは遅くとも345年には西方教会でおこなわれていたようだ。345年の少し前に成立だとしても、イエスの時代からかなり離れている。
ではなぜ12月25日なのか、その前後の祭りを調べると、正月とか冬至とかがみられる。実は冬至の祭りがもともとあったと考えるのが、分かりやすいだろう。古代の人々は太陽高度がどんどん下がっていくことに恐怖を感じていた。そこで、冬至の日に太陽の復活を祈る祭りをしたと考えられる。農耕が発生すると太陽信仰が重要になった。日本でも西洋でも同様である。ちょっと専門的になるが(世界史Bでは習うのだが)、古代ローマでは太陽を信仰するミトラ信仰が盛んだった。キリスト教の普及過程において、太陽信仰を取り込んでいった(転用した)可能性が高い。
19世紀イギリスの文筆家ロバート・チェインバーズの『The Book of Days』(邦訳『イギリス古事民俗誌』)は、キリスト教の祝祭日前夜は厳格には断食と懺悔の時とされているのに、万霊節前夜(ハロウィーン)やクリスマス・イブは本来の目的をはずれて、どんちゃん騒ぎの夜になっている、と指摘している。。若者は森へ出かけ、ヤドリギを採ってきた。開放された領主の屋敷に小作人や農奴らが押しかけて、無礼講になった。丸太がくべられた炉が燃え上がり、高座にはイノシシの頭がおかれ、陽気な仮面隊が大声でキャロルを歌った、という。http://web.mac.com/saito_sy/
さらにさかのぼると、かつて古代ブリテン島(現在のイギリス)に住むケルト人は、大晦日の晩に死霊が家々を訪ねてくる、と信じていた(当時の大晦日は冬至)。
イギリス人はキリスト教に改宗したあとも、従来の慣習を排除せず、守ってきた。教会も古いしきたりをあえて追放しなかった。この方がはるかに効率的にキリスト教を伝道することができたからである。ちなみに、現在のキリスト教は異教との融合を認めていない。このことは魔女狩りの項目で述べたとおりである。
同様のものに、万聖節がある。その前夜がハロウィーンで、これも本来ケルト人の祭りと言われている。しかしこれについて論じる紙面がない。
といわけで、かなり大急ぎでクリスマスの起源を探ってきました。結論です。本来ヨーロッパには太陽信仰がみられ、冬至の頃に祭りがあったと考えられます。1年の始まりも冬至にあったのではないでしょうか。それをキリスト教が取り込んでいったわけです。ホグワーツでクリスマスを祝うのは、キリストの生誕を祝っているわけではなく、ケルト本来が持っている習俗を維持しているに過ぎないと考えるべきなのでしょう。この冬至のお祭りを奪って、クリスマスなどと勝手な名前を付けたのはキリスト教側だという訳です。
中央ヨーロッパでは、中世にキリスト教が浸透し、このような在来の風習は表面的には姿を消しました。、しかしその深層にこのような信仰は居座り続けていたため、教会側はその対応に苦慮することになります。その過程については前回までに述べたとおりです。
梶村先生の最終講義で、中世ヨーロッパの賤民の誕生について話されましたが、実はこのこととつながることになります。
このように考えると、なぜ中世の中部ヨーロッパは、こんなに苦労してキリスト教を受け入れたのかという疑問が生じます。ニーチェが「キリスト教は邪教です」で指摘するように、キリスト教的世界観は、古代のギリシャ的多神教的世界観と全く異なるため、その受け入れのため、1000年以上も思索で苦しむことになります。ヨーロッパがやっとキリスト教を自分のものとできたとき、近代が始まるのだと思いますが…。なぜそこまでして受け入れたのかという疑問はぬぐえません。
クリスマス(Christmas)とは、キリストのミサの意味である。つまりイエスの誕生日であるかのように言われるが、事実はそうではない。新約聖書では誕生日を特定する記述はない。歴史学ではイエスの生誕は夏であろうと推定する説も見られる。
クリスマスは遅くとも345年には西方教会でおこなわれていたようだ。345年の少し前に成立だとしても、イエスの時代からかなり離れている。
ではなぜ12月25日なのか、その前後の祭りを調べると、正月とか冬至とかがみられる。実は冬至の祭りがもともとあったと考えるのが、分かりやすいだろう。古代の人々は太陽高度がどんどん下がっていくことに恐怖を感じていた。そこで、冬至の日に太陽の復活を祈る祭りをしたと考えられる。農耕が発生すると太陽信仰が重要になった。日本でも西洋でも同様である。ちょっと専門的になるが(世界史Bでは習うのだが)、古代ローマでは太陽を信仰するミトラ信仰が盛んだった。キリスト教の普及過程において、太陽信仰を取り込んでいった(転用した)可能性が高い。
19世紀イギリスの文筆家ロバート・チェインバーズの『The Book of Days』(邦訳『イギリス古事民俗誌』)は、キリスト教の祝祭日前夜は厳格には断食と懺悔の時とされているのに、万霊節前夜(ハロウィーン)やクリスマス・イブは本来の目的をはずれて、どんちゃん騒ぎの夜になっている、と指摘している。。若者は森へ出かけ、ヤドリギを採ってきた。開放された領主の屋敷に小作人や農奴らが押しかけて、無礼講になった。丸太がくべられた炉が燃え上がり、高座にはイノシシの頭がおかれ、陽気な仮面隊が大声でキャロルを歌った、という。http://web.mac.com/saito_sy/
さらにさかのぼると、かつて古代ブリテン島(現在のイギリス)に住むケルト人は、大晦日の晩に死霊が家々を訪ねてくる、と信じていた(当時の大晦日は冬至)。
イギリス人はキリスト教に改宗したあとも、従来の慣習を排除せず、守ってきた。教会も古いしきたりをあえて追放しなかった。この方がはるかに効率的にキリスト教を伝道することができたからである。ちなみに、現在のキリスト教は異教との融合を認めていない。このことは魔女狩りの項目で述べたとおりである。
同様のものに、万聖節がある。その前夜がハロウィーンで、これも本来ケルト人の祭りと言われている。しかしこれについて論じる紙面がない。
といわけで、かなり大急ぎでクリスマスの起源を探ってきました。結論です。本来ヨーロッパには太陽信仰がみられ、冬至の頃に祭りがあったと考えられます。1年の始まりも冬至にあったのではないでしょうか。それをキリスト教が取り込んでいったわけです。ホグワーツでクリスマスを祝うのは、キリストの生誕を祝っているわけではなく、ケルト本来が持っている習俗を維持しているに過ぎないと考えるべきなのでしょう。この冬至のお祭りを奪って、クリスマスなどと勝手な名前を付けたのはキリスト教側だという訳です。
中央ヨーロッパでは、中世にキリスト教が浸透し、このような在来の風習は表面的には姿を消しました。、しかしその深層にこのような信仰は居座り続けていたため、教会側はその対応に苦慮することになります。その過程については前回までに述べたとおりです。
梶村先生の最終講義で、中世ヨーロッパの賤民の誕生について話されましたが、実はこのこととつながることになります。
このように考えると、なぜ中世の中部ヨーロッパは、こんなに苦労してキリスト教を受け入れたのかという疑問が生じます。ニーチェが「キリスト教は邪教です」で指摘するように、キリスト教的世界観は、古代のギリシャ的多神教的世界観と全く異なるため、その受け入れのため、1000年以上も思索で苦しむことになります。ヨーロッパがやっとキリスト教を自分のものとできたとき、近代が始まるのだと思いますが…。なぜそこまでして受け入れたのかという疑問はぬぐえません。
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