2008年7月14日月曜日

体育祭予行をおえて

お疲れ様でした。はじめて予行を見ました。生徒会や団幹部は頑張っていることはよく分かります。でもはっきり言って怠いです。これは一体どこから来るものなのでしょうか?
 それについての解答は保留することにして、10年ほど前のある高校の体育大会のことを思い出しました。
 以下には、その高校のことです。 その学校でも、10年ほど前までは、生徒会中心で体育祭を実施していました。予行ではなかなか生徒会執行部が生徒を動かすことができず、もたもたしています。それを教師は見ていて、アドバイスをするだけです。教師が前面に立つことはありませんでした(うちの学校と同じですね)。予行の反省会では、生徒会役員は泣いてしまいます。
 それで、その反省にたって、本番はなんとかやり遂げられる…という状況でした。ところがだんだん生徒会が生徒を指示しきれないようになってきました(うちと似ていますね)。
 そこで、体育科の教員を中心に指示が出るようになり、現在では教師の仕切りのもとで、生徒会が動くようになりました。むろん生徒会も頑張っていますが、完全な自主的運営ではなくなっていきました。
 どこに問題があるのでしょう。
・生徒会役員のリーダーシップが下がったのでしょうか?
・生徒の意識が低下したのでしょうか?
・教師集団が生徒の様子に我慢できなくなったのでしょうか?
 いろいろ原因は考えられると思いますが、この教訓として言えることは、生徒の力が下がれば、教員が行事の主導権を握るだろうということです。それが恥ずかしいことだというように考えられますか?
 一方では、生徒が一人残らず、軍隊のごとく同じ方向を向いているという状況もどうかという気持ちも、心の中にはあります。しかし、少なくとも同じ仲間の生徒が頑張っていれば、応援する・協力する・一緒に作り上げよう…という気持ちがおこって当然ではないかと思うのです。
 一般社会においても自治を維持するのは大変です。侵されやすいものです。でもその重要性もかみしめてほしいのです。これが社会科教師としての言いたいこと(結論)です。
(12号)

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