2009年3月21日土曜日

行列について後悔の記

 私の高校生の頃は、2年生で行列なるものを勉強していた。今君たちが苦労しているあの行列である。計算は単純なのだが、他の分野と違って、かなり異質に感じていた。「なぜこのようなこと(行列計算)をしなくてはならないのか」という疑問が、どうしても分からなかったのである。数学の先生にもn行n列の数列について質問したり、逆行列について質問したりした記憶があるが、どうもしっくりこなかった。そのような思いのまま、数学からは遠ざかってしまった。すでにこの頃には、理系をやめることを決めていた(当時は3年で類型を最終決定していた)が、行列をする必然性、ひいては数学という勉強の意味が分からなくなったというのも、遠因であろう。もちろん勉強について行けなくなったから(?)、というのは無論のことである。
 さて、話は大学卒業の頃にまで飛ぶ。当時は、パーソナルコンピュータが売り出されはじめたばかりのことである。5万円程度のパソコンをもらって、ディスプレイ代わりの白黒テレビに繋ぎ、Basicで何か計算させるようなことをしていた。地理学科の院生だった私(沖積平野の地形勉強中)は、パソコンで地形を描画することを試みていた。地表の等高線をメッシュデータで入れて、ビューポイント(地形を見る位置)を変えると地形の見え方が、変わるというプログラムをつくりたかった。今日、コンピュータゲームやテレビ番組で、動くコンピュータグラフィック(CG)があるが、あれの地形版である。
 なぜかNECに入ってしまった友人に、そのことを尋ねると、「それは行列だ」という。簡単にいうと「一次変換」をするのだという。そういわれるそうだ。大量の標高データを一度に変換するのだから、行列が適しているのだ。そこで私は「はた」と手を打ったのである。そういえば、高校の教科書には行列の所に、猫の絵が一次変換すると、ひしゃげてしまう、という教材が載っていたではないか。そうだったのか。しかし高校をでて、すでに5年、地形のCG化の道は諦めざるを得なかった。こうして文系人間として今日に至るのである。
 ここで教訓めいたことをいうとするならば、「学校で習ったことが、いつ、どこで役立つか分からない」、「高校時代の勉強は、人生の基礎だから、きちんとやっといた方がいいよ」と言うことである。 (2006年5月記)

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