いよいよ模擬試験も中間点である。校内でおこなう模試もあと三つ(外部模試を加えるともう少しあるのだが…)。現在10月進研駿台共催模試の受付を行っている最中である。各自よく準備して受験してほしい。大学受験の判定の重要な資料になるでしょうから。
上記に述べたことで、本論は終わりである。以下は、時間のない生徒は読んではいけない無駄話である。
さて、私の学生時代は、それほど模擬試験は多くなかった。進研模試ぐらいで、夏休みに関関同立模試、夏休み明けに全統があった程度だ。したがって、何か受けようとすれば、大阪や神戸に出なければならなかった。大阪の私立高校、大工大、甲南大学などの会場で受けたことがあるが、なにせ田舎の高校だったので、行くのが大変だった。 朝1番の電車(5時頃)に乗るためには、4時起きである。お弁当をつくる母親は3時半に起きていたと思う。今思えば、親不孝なことであった。
模試帰りには、大阪駅前地下街(今で言うところのホワイティうめだ)で、日本に出店したて(?)のマクドナルドというところで、ビックマックなるもの買って汽車に乗り込んだことが懐かしい。ついでに言うと、その汽車でコンサート帰りの同級生(女子)と一緒になったりして、むこうはコンサートの話題で盛り上がっているのに、こちらは、友人と模試の答合わせをしていたりして、世界が違うことを実感したりもした。
さて、模試結果(駿台模試)だが、これが散々な結果であった。確かに当時の駿台模試は超難問で、偏差値50を超えれば国公立合格と言われていた。しかし数学は2点だった(大問Ⅰの答だけの小問が1点、3次関数の問題のグラフで1点である)。それでも偏差値が40を超えていたのが不思議なのだが…。それ以来、理系科目は諦め、数学では大問Ⅰの答のみの小問集合を徹底的に解く(ここが全問正解だと当時の駿台模試では偏差値55を超える)ように方針を転換したのであった。
そもそも、K少年は、子どもの頃から理科と社会が好きだった。2年の終わり頃からサブノート作りをせっせとやっていたので、3年の前半は理科・社会はとっても得意になっていた。2学期初めの全統模試はピークにあたり、某有名大学にいけそうだったりして喜んだものである。しかし2学期後半から暗転する。これまで得意だった英語の伸びがパタッと停まってしまったのである。
後から考えると、「他のみんなも英語をやりはじめたんだよね」と思うが、そのときは、あせってしまって、色々な問題集などに手を出したものの、ほとんど身につかなかったような気がする。つまり足が地に着いていなかったというわけだ。というわけで、3年の冬休みから二次試験までは、夢の中の出来事のような気がしたまま終わってしまった。
英語はなかなか伸びない教科である。日々の努力がものをいう。ということは勉強しなくてもなかなか成績が落ちない科目と言うことも可能だ。しかし勉強しないとボディーブローのように徐々に効いてくる。そして一旦下がり出すとなかなかしんどいことになるだろう。
不幸にしてここまで読んでしまった人だけに告げる教訓としては、
①英語は地道にやり続ける。
②得意科目はやりすぎない。
③あせったら負けである。
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