2009年8月23日日曜日

体育祭または農村社会におけるハレ

 本稿の目的は、現代の消費社会と高校体育祭は相容れないことを説明することである。体育祭が学校社会におけるハレであることを説明するような当たり前のことを述べようとしているわけではない。しかしその前提がなければ、話が進まないので、まずその点から始める。
 民俗学では、生活時間をハレとケに分けて考えている。ハレとは「晴れ着」とか「晴れ姿」「晴れ舞台」のハレである。祝い事や祭りなどの非日常的な場面(時間)をハレとよんでいる。一方ケとはハレではない日常的な場面のことを指している。そしてハレとケは交代してあらわれると考えるのである。さて学校生活は前近代的な空間を残しているので、ハレとケを用いて民俗学的に説明できる。すなわち体育祭や文化発表会、球技大会、修学旅行などの学校行事はハレであり、通常の授業日がケというわけだ。卒業式や入学式もハレであるが、イニシエーション(通過儀礼)の意味も大きいと思っている。
 以上は、民俗学をかじっていれば、まあ考えつきそうな議論である。
 さて、このようにハレとケを学校に当てはめるためには、学校社会が前近代的な空間であることが必要である。
 
と、ここまで書いたところで(その時点で6月26日)、6月進研模試が返ってきました(7月2日)。そのことを書かなくてはならない、と決心しましたので、このエッセイの後段は次号とします。

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