2009年6月22日月曜日

ホグワーツでは何故クリスマスを祝うのか その4

中世キリスト世界の展開
 前段で、1300年頃を境として、教会の魔女に対する態度が厳しくなったことが明らかになった。この理由を考えるにはキリスト教がヨーロッパ社会に根付いていった過程を検討する必要があろう。本節では阿部欣也の学説に依拠しながら、この点について検討する。
 阿部(1974)は、「ハーメルンの笛吹男」の伝説を検討しながら、中世ヨーロッパにおけるキリスト教世界の浸透について論じている。阿部は時の断面を復原し、その復原した時間面の関係を考察するという方法で、精緻な検討をおこなった。このハーメルンの笛吹男の伝説は1284年とされており、まさしく森島が1300年頃を境として、と述べた時期と一致している。
 詳細な検討は省略して、要点を述べると次のようになるだろう(図面省略)。
 キリスト教が流入する以前の中部ヨーロッパ世界では、自然崇拝を基本とする社会であったと考えられる。多神教の世界である(Ⅰ)。キリスト教は地中海世界から北上し中部ヨーロッパに流入する。最初にこれを受け入れるのは支配者階級である(Ⅱ)。支配者階級はこれを支配の手段として重用する。この宗教は中世農村のミクロコスモスへと徐々に浸透する。この時期、キリスト教を信仰しながらも、民間信仰も捨てられてはいなかった(Ⅲ)。キリスト教と在来の宗教徒の対立について、阿部は「キリスト教会は祭の奥底にひそむ古代的・異教徒的伝統を根絶やしにしようと努力していたから、そのためのあらゆる努力を惜しまなかった」と述べている。ハーメルンの笛吹男の伝説はこの時期、徐々にキリスト教的解釈によって変容していくのである。
 さて、教会の力を高めるために、異教徒的(在来の)伝統に対して、とった手段は、それを取り込んでいくか、制限するか、弾圧するかである。多くの祭りは制限されつつ取り込まれていった。夏至の祭りがヨハネ祭に変化するのがその例だが、詳細は阿部氏の著作に譲りたい。為政者により下層民たちも徐々にキリスト教化されるのだが、弾圧されたものとして、社会の枠組みにとらわれない漂白民・放浪者(遍歴楽師)たちが残される(Ⅳ)。
 魔女狩りがこの後に時期に激化したことを考慮に入れると、魔女狩りはキリスト教化の最後の段階であったことが分かる。簡単に言えば、為政者はキリスト教を受け入れなかった人々に、弾圧を加え、これを一掃したと解釈できる。事実魔女狩りの後、ヨーロッパ社会は一神教社会となっていった。
文献
・阿部謹也(1974)「ハーメルンの笛吹男」ちくま文庫
・阿部謹也(2006)「近代化と世間」朝日新書
・F・W・ニーチェ「キリスト教は邪教です 現代語訳『アンチクリスト』講談社+α文庫」

これで、大体中世キリスト教については、概略理解できたと思う。本題は、ホグワーツでは何故クリスマスを祝うかである。そのためには、次にクリスマスとは何か、特にキリスト教以前におけるクリスマスの意味を考えなくてはならないだろう。

0 件のコメント: