2008年5月23日金曜日

ミッション 高瀬舟

担任のコメント
4組の生徒の進路希望をみると、医学、獣医学、看護系それに薬学、医療系、生命科学等をあげる生徒がかなりいることが判明しました。そこで、「高瀬舟」をLHRで取り上げたいと考えました。
 森鴎外(鴎は本来異体字です。本来の字はこのパソコンでは印刷できません)は大正5年にこの短編を書いています。
 彼の職業は軍医ですから、一般の人とは異なり死や人体について深く考察できる環境であったと推察できます。しかしながら、安楽死というテーマを取り上げた先見性を感じずにはいられません。
 生徒の感想を集計した結果、安楽死を認める立場29名、認めない9名、その他1名でした。これまでの生徒の感想と比較すると、安楽死を認める立場が増加しているような気がします。安楽死を認めると言っても、様々な意見がありますが、論点として、
 ①対象が自分本人なのか、親しい人なのか、それとも赤の他人なのか、によって意見も変わってくるのではないでしょうか。
 ②対象となる人が安楽死の意思表明をしている場合としていない場合ではどう考えればいいのでしょうか。
 ③安楽死を認める意見の場合、誰が同意すれば認められるのでしょうか、本人それとも親族でもOKでしょうか、
 などなど、議論の尽きぬところです。
 ところで近代における人権の歴史は、人権概念の拡大の歴史と言ってよいかもしれません。市民革命期には自由権や平等権が主張されました。20世紀にはいると社会権が登場しました。近年では環境権やプライバシー権などが「新しい人権」として確立されようとしています。 また、近代初期には人権の適用範囲は男性だけでしたが、女性にも拡大してきました。それと同時に医療技術の進展に伴って、人間の一生においても人権が拡大しつつあります。まず人権は大人だけでなく子供にもあることが主張されました。未熟児にも人権が存在するといってもいいかもしれません。人工中絶は22週未満です。
 終末医療が注目されるのも、人権概念が死の直前にもあると考えられるからでしょう。そればかりではなく「尊厳死」は死の瞬間にも人権があると言うことでしょうか。さらには散骨問題(自分の遺骨を海に撒くなど、どう処理するか)も死後の人権主張なのかもしれません。担任の私見としては、安楽死もそうした文脈で理解するべきことなのかなと愚考します。
(9号)
クラス独自のHRで、「高瀬舟」の読書HRを行いました。安楽死について、意見を求めミニ討論を行いました。賛否両論をクラス通信に掲載しましたが、今回はそのまとめです。

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