過日クラス通信7号において、君たちの感想を読んだ感想を述べた。少し「謎かけ」的なところもあったので、少し真面目に担任の見解を述べておきたいところだが、私にはそのような力量はない。そこで山口大学人文学部の入試問題で誤魔化しておきたい。
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文化や言語圏を問わず、生まれ落ちた赤ん坊が初めて覚える言葉は、自分の生存に直接かかわる基本語に決まっている。たとえばママ、パパ、マンマ……といった、両親や食べ物に対応する言葉。
ところが最近の赤ん坊は、ちょっと様子が違うらしい。そういう基本語よりも先に、いきなり「パンパース」(オムツ)、「ヒップ」(エレキバン)、「マープ」(増毛法)といった商品名をしゃべり始めた赤ん坊の話を聞いたのは、ずいぶん前のことだ。つまり親よりもメディアに“刷り込み”された赤ん坊が、いきなり自分の生存と無関係の言葉をまっさきに学習してしまう時代なのだ。
もちろんこれは特に象徴的なひとつのサンプルにすぎないのだけれど、すでに原始的な言語学習段階で、このような〈自己と言葉の乖離〉が始まっているという事実に、ぼくたちはもっと驚いてみてもよかった。それはつまり「言葉が肉体化されない」ということである。
中略
さて、そんな言語環境で育ってきた子どもたちが、いきなり「さあ、ありのままのあなたを自由な言葉で表現しましょう!」などと言われて、「はい、そうします」とスラスラ自己表現できたりするものだろうか? 最近は入試問題に〈自由作文〉とやらを出題する学校が増えてきた。「どれ、今度は個性と創造力とやらを評価してやろうじゃないの」ってぇ魂胆なのだろうが、そうは問屋が卸さない。子どもたちは、それが「出題」である限り、当然のように出題者の意図を見透かして、自分のデータベースから「模範解答」を引っ張り出してくる。いわゆる〈良い子の作文〉を見事に演じきって見せるのだ。
たとえば出題者は、100%の自由作文では「採点」が面倒なので、簡単なテーマを与える。〈雲〉とか〈水〉とかの、まるでお題噺のような、すると大半の子供たちが、雲の種類や発生過程、水の循環や生成過程などに関するありったけの知識を駆使した「論文」を書いてしまうのだという。出題者は面食らったのだが、「不正解」にするわけにもいかない。で、結局、文章としての体裁が整っていて誤字・脱字さえなければ、合格点をつけるしかなかったとか。
このジョークのような実話は、いつか国語作文研究所の宮川俊彦さんから聞いた。
もちろん笑いごとではない。そんなプロセスを経て、彼ら〈いや、もはや他人事ではない〉は、仮想の言語空間の陰に「けっして表現されない自分の言葉」を隠蔽してしまう。ぼくたちが、たとえば天下国家を語る正論や一般論ならスラスラ論じたり書いたりできたりするのも、実は「しょせんは自分に関係ない」と思っているからなのかもしれない。すべては〈肚の外〉の話なのだ。
これも宮川さんに聞いた体験談なのだが、ある日の作文教室で、彼はこの国の学校ではお目にかかれない作文課題を、子供たちに与えた。
《日本と韓国がもっと仲良くするためには、どうすればいいのか》というテーマだ。ちょっとあなたも考えてみてほしい。
大方の子供たちが書いた作文は、たとえばこんな内容だったらしい。
「政治家がもっと誠意をもって外交すればいい」
「天皇が韓国に過去の侵略をちゃんと謝ればいい」
「経済協力や貿易をもっと盛んにすればいい」
「日刊平和条約を結べばいい」
……とまぁ、国語や社会の授業なら模範解答になりそうな立派な正論の数々だ。
でも彼が一番高く評価したのは、そのなかでも一見幼稚でたどたどしい、こんな内容の作文だった- 「日本人と韓国人がお互いにひとりひとりともだちを増やしていけばいい」
もちろんこれは正解のある試験じゃないので、その子だけ褒められて他の子は叱られるというようなことはなかった。
ただ問題は、それを自分の手の届く〈現実〉としてとらえることができるか-ということだ。どこかで聞いたような「自分と関係ないフィクションの問題」ではなく。そして、これは子供たちよりも、むしろ大人たちの問題なのだ。子供たちは大人がつくりあげた情報環境に必死に適用しようとしただけだ。もちろん、この子の作文もバリエーションにすぎない、と言ってしまえばそれまでなのだが。
殺人や自殺といった子供の事件に、しばしば作文がからんでいるのは、きっと偶然じゃないのだろう。それは仮想の言語環境と彼らの〈肚の中〉とのせめぎ合いが、いよいよ限界に達した臨界点で噴き出した、土壇場の自己表現なのかもしれない。彼らもまちがいなく〈肚の中〉から発する言葉を渇望しているのだ。
山崎浩一『危険な文章講座』ちくま書房、1998。一部改変、中略あり
●問
「しょせんは自分に関係ない」仮想の問題でなく、まさに自分の問題としてあなたが切実にうけとめるのは、たとえばどのようなことですか。自らのテーマを立て、そのテーマについて考えられるところを、「〈肚の中〉から発する言葉」によって、1000字程度で述べなさい。
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担任のコメント: これだけ書けば(ワープロなので打てば)、担任の言いたいことは分かってもらえるでしょう。ちょっと長いので、読むのを拒否した人もいるかもしれませんねぇ。
それはさておき、いやー山口大学人文学部、頑張ってますねぇー……。高校生というものは、問に対して正解となるストライクゾーンを想定し、それから玉(答)を投げ込んでくる。それが受験では普通の対応です(それが全ての日常生活で正しい方法とは限らないのだが)。しかし、そのストライクゾーンを設定させまいとする山口大学人文学部。この勝負、どうなったか結果を見てみたい気がする。
(10号)
現在、考査期間なので、このクラス通信はテスト後(5月末)に発行予定です。
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