2008年7月14日月曜日

ごまかし勉強とは何か

 以前クラス通信でごまかし勉強について、少し述べた。ここではごまかし勉強と正統派学習について、もう少し詳しく述べたいと思う。それは生徒諸君の小テスト対策をみていて、考えるところがあるからだ。なお、この記事の出典は藤沢(2002)「ごまかし勉強」をまとめたものである。
 ごまかし勉強の特徴
・試験にあまりでない項目は切り捨てる。理解するのが面倒な項目も切り捨てる(学習対象の限定)
・深化学習や発展学習はおこなわない。
・言葉や用語の意味は分かる必要はない。あるいは、教科書ガイドやワークブックに載っているので、辞書を引かない。
・要点の図解は、資料集にいくらでも載っているので、自分でまとめてみる何てことはしない。
・問題の解法は1通り知っていれば、テストで答が得られるので、別解を考えたりしない。
・つまり、テストに出ないことはしない。
・定着作業だけは、試験直前に時間をかけて、繰り返しおこなう。
・暗記材料はトレーニング教材を用いる。あるいは、教科書にチェックペンでマークを入れ、丸暗記しようとする。
・このような作業は、全く面白くないが、勉強とは面白くないはずだと、割り切って考えている。
・とりあえず我慢して定着作業だけを繰り返す。このやり方で勉強すると、結構点数がとれるので、達成感がある。結果が良ければ全てよしで、これが正しい勉強法だと信じてしまって、ごまかしていることに気づかない。
 生徒から次のような質問を受けることがある。
①この空欄には何が入るんですか。
②その板書はノートに書いた方がいいですか。
③そのプリントの答はないのですか(課題プリントを配ったとき)。
 ①の質問は空欄に入れることを覚えればいいという感覚が背景にありそうだし、②については、ノートに書いた方がいいかどうかという価値判断=テストに出るかどうかという価値判断、ととらえることができそうである。③については、もはや生徒は教科書などで調べて、自分でプリントをこなそうという感覚を持っていない。課題プリントをする=答書き写して丸暗記すること、と判断していることが分かる。これらはごまかし勉強の一部である。
 ごまかし勉強の実例…これまた前述の書物からの引用させて頂く。
【英語の場合】
宿題で単語調べや全文訳を要求する先生の場合には、全て教科書ガイドに載っていますから、ノート点検がある場合には、これを写しておきます。授業中は、どこがテストに出るかに注意して聞き、出そうなところは教科書にマークしておきます。訳語選択が面倒なので、辞書は使いません。試験前には、担当の先生がプリントを配布した場合はそれを、そうでなければ出版社の作った暗記材料を暗記します。予想問題を入手し、出そうな問題の解答を暗記します。単語の練習時間があれば、綴り練習と一つに絞った訳語だけを暗記します。
【数学の場合】
予習を要求する先生の場合は、教科書ガイドの解答をノートに写しておきます。そうでない場合は、黒板に示された模範解答を忠実に移すようにします。最初から自分で解くと、誤りがノートに残ってしまうことがあるので、できるだけ予習は避けます。テスト前には、最小限の問題パターンを、誰か(友人・塾・出版物)に教わり、それの解法を書き写して暗記します。解法も一題一方法に限定します。なかなか覚えられない場合は、覚えるまでひたすら数をこなします。
【社会の場合】
授業中に試験に出そうなところを聞き取り、教科書にチェックペンでマークします。試験前にはこれに遮蔽板(色シート)をのせ、空欄補充問題集として、用語を暗記します。意味がよく分からない場合でも、できるだけ疑問は持たないようにして、機械的暗記に務めます。記述式問題が試験に出る場合には予想問題を入手し、模範解答を記入して暗記します。
 大体、ごまかし勉強のイメージは掴めたでしょうか? タイピングに疲れたので、本日はここまで。

これは何? 解答編

 石棺です。石棺は蓋と身からなっていますが、これは石棺の身です。上下併せてワンセットのうちの下の方です。つまり亡骸が入る方ですね。
 この石棺は、西門の近く、クラブハウスの横にあります。是非、一度見に行って下さい。この話を主任のT先生としていたら、1年担任のN先生が、わざわざ加古川市史第四巻の一部をコピー持ってきて下さいました。
 これによれば、加古川市内には棺蓋63例、棺身82例が存在し、これは近隣市町村と比べ、かなり多い方ようだ。本校の石棺も紹介されている(p.377)。市内では最も大きい棺身だということである。T校長先生曰く、県立考古博物館に知られたら、持って行かれてしまう…、とか。
 材質は、やはり竜山石が多いようで、この棺身にように、水抜き穴があけられ、手水鉢に利用されたものも多いそうだ。
 個人的に面白いと思ったのは、石棺は市内の古墳群周辺に分布するので、古墳群からそれほど移動していない(市史)、という説だ。本校の棺身もそれほど遠くないところから持ってこられたものであろう。
 これを知った時、地理の古典的エピソードを思い出した。ロンドン市内でコレラが流行した際、ある医師が、患者の発生地点を市内地図上に落としたところ、患者の分布から、原因となる井戸を特定することができた、という話である。分布論は非常に有効な考え方だな、と実感した次第だ。
(14号)

体育祭予行をおえて

お疲れ様でした。はじめて予行を見ました。生徒会や団幹部は頑張っていることはよく分かります。でもはっきり言って怠いです。これは一体どこから来るものなのでしょうか?
 それについての解答は保留することにして、10年ほど前のある高校の体育大会のことを思い出しました。
 以下には、その高校のことです。 その学校でも、10年ほど前までは、生徒会中心で体育祭を実施していました。予行ではなかなか生徒会執行部が生徒を動かすことができず、もたもたしています。それを教師は見ていて、アドバイスをするだけです。教師が前面に立つことはありませんでした(うちの学校と同じですね)。予行の反省会では、生徒会役員は泣いてしまいます。
 それで、その反省にたって、本番はなんとかやり遂げられる…という状況でした。ところがだんだん生徒会が生徒を指示しきれないようになってきました(うちと似ていますね)。
 そこで、体育科の教員を中心に指示が出るようになり、現在では教師の仕切りのもとで、生徒会が動くようになりました。むろん生徒会も頑張っていますが、完全な自主的運営ではなくなっていきました。
 どこに問題があるのでしょう。
・生徒会役員のリーダーシップが下がったのでしょうか?
・生徒の意識が低下したのでしょうか?
・教師集団が生徒の様子に我慢できなくなったのでしょうか?
 いろいろ原因は考えられると思いますが、この教訓として言えることは、生徒の力が下がれば、教員が行事の主導権を握るだろうということです。それが恥ずかしいことだというように考えられますか?
 一方では、生徒が一人残らず、軍隊のごとく同じ方向を向いているという状況もどうかという気持ちも、心の中にはあります。しかし、少なくとも同じ仲間の生徒が頑張っていれば、応援する・協力する・一緒に作り上げよう…という気持ちがおこって当然ではないかと思うのです。
 一般社会においても自治を維持するのは大変です。侵されやすいものです。でもその重要性もかみしめてほしいのです。これが社会科教師としての言いたいこと(結論)です。
(12号)

これは何? その1

 校内にこのようなものがあります。長さは170cmあります。外見は直方体で、中は四角くくり抜かれています。材質は、凝灰岩のようです。したがって竜山石の可能性があります。
・これは一体なんでしょうか? ・また、これはどこにあるのでしょうか?分かった人は、こっそり耳打ちして下さい。








写真のように、隅に穴があけられています。底面が筋状にへこんでいることから、水流によって削られたのではないでしょうか。どこからか持ってきて、洗い場か手水鉢に利用されていたのではないかと推測されます。


(12号)

2008年6月29日日曜日

白鳥の托卵行動

 托卵とは、ある鳥が他の鳥の巣に卵を産み落とし、その後の抱卵と育成をその巣の主に任せてしまう行動である。日本では古代よりホトトギスがウグイスに托卵することが知られていた。またカッコウの托卵も著名である。
 さて、標題の「白鳥の托卵行動」についてである。これについては、聞いたことがないかもしれないが、実は1843にデンマークでの報告が1例ある。ある高名な研究者が白鳥の託卵について報告している。この研究家は、燕の渡り研究や、少女の白昼夢を素材とする防衛反応の研究、など幅広く興味を示した人物で、小説家としても知られている。
 一般に托卵は、托卵される鳥のものと大きさや色、形がに似ていて、孵化期間も托卵する方が短期間である。例えば先に孵化したカッコウの雛は、モズの卵を巣から押し出し、親鳥からの餌を独占する。知らぬはモズの親鳥だが、それは仕方がない。
 彼すなわちアンデルセンの報告によれば、白鳥の卵は家鴨よりも大きいという。これは他の事例とも整合するのだが、奇妙なことに、孵化するのは、家鴨よりも遅く最後であったという。一般に最後に孵化した場合、他の雛の成長の方が先行するため、餌を十分もらえず餓死するか、巣の中で圧迫しする危険性が高い。にも関わらず、白鳥の雛は家鴨の雛と比べても、大きく成長したと報告している。 アンデルセンの報告以後、白鳥の託卵行動は報告されていない。彼の報告の背後には何らかの企(たくら)みがあったのではないかとの疑いもあり、今後の研究が待たれるところである。
(11号)

2008年5月23日金曜日

人権HRの生徒感想を読んだ担任の感想についてのコメント

 過日クラス通信7号において、君たちの感想を読んだ感想を述べた。少し「謎かけ」的なところもあったので、少し真面目に担任の見解を述べておきたいところだが、私にはそのような力量はない。そこで山口大学人文学部の入試問題で誤魔化しておきたい。
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 文化や言語圏を問わず、生まれ落ちた赤ん坊が初めて覚える言葉は、自分の生存に直接かかわる基本語に決まっている。たとえばママ、パパ、マンマ……といった、両親や食べ物に対応する言葉。
 ところが最近の赤ん坊は、ちょっと様子が違うらしい。そういう基本語よりも先に、いきなり「パンパース」(オムツ)、「ヒップ」(エレキバン)、「マープ」(増毛法)といった商品名をしゃべり始めた赤ん坊の話を聞いたのは、ずいぶん前のことだ。つまり親よりもメディアに“刷り込み”された赤ん坊が、いきなり自分の生存と無関係の言葉をまっさきに学習してしまう時代なのだ。
 もちろんこれは特に象徴的なひとつのサンプルにすぎないのだけれど、すでに原始的な言語学習段階で、このような〈自己と言葉の乖離〉が始まっているという事実に、ぼくたちはもっと驚いてみてもよかった。それはつまり「言葉が肉体化されない」ということである。
  中略
 さて、そんな言語環境で育ってきた子どもたちが、いきなり「さあ、ありのままのあなたを自由な言葉で表現しましょう!」などと言われて、「はい、そうします」とスラスラ自己表現できたりするものだろうか? 最近は入試問題に〈自由作文〉とやらを出題する学校が増えてきた。「どれ、今度は個性と創造力とやらを評価してやろうじゃないの」ってぇ魂胆なのだろうが、そうは問屋が卸さない。子どもたちは、それが「出題」である限り、当然のように出題者の意図を見透かして、自分のデータベースから「模範解答」を引っ張り出してくる。いわゆる〈良い子の作文〉を見事に演じきって見せるのだ。
 たとえば出題者は、100%の自由作文では「採点」が面倒なので、簡単なテーマを与える。〈雲〉とか〈水〉とかの、まるでお題噺のような、すると大半の子供たちが、雲の種類や発生過程、水の循環や生成過程などに関するありったけの知識を駆使した「論文」を書いてしまうのだという。出題者は面食らったのだが、「不正解」にするわけにもいかない。で、結局、文章としての体裁が整っていて誤字・脱字さえなければ、合格点をつけるしかなかったとか。
 このジョークのような実話は、いつか国語作文研究所の宮川俊彦さんから聞いた。
 もちろん笑いごとではない。そんなプロセスを経て、彼ら〈いや、もはや他人事ではない〉は、仮想の言語空間の陰に「けっして表現されない自分の言葉」を隠蔽してしまう。ぼくたちが、たとえば天下国家を語る正論や一般論ならスラスラ論じたり書いたりできたりするのも、実は「しょせんは自分に関係ない」と思っているからなのかもしれない。すべては〈肚の外〉の話なのだ。
 これも宮川さんに聞いた体験談なのだが、ある日の作文教室で、彼はこの国の学校ではお目にかかれない作文課題を、子供たちに与えた。
 《日本と韓国がもっと仲良くするためには、どうすればいいのか》というテーマだ。ちょっとあなたも考えてみてほしい。
 大方の子供たちが書いた作文は、たとえばこんな内容だったらしい。
 「政治家がもっと誠意をもって外交すればいい」
 「天皇が韓国に過去の侵略をちゃんと謝ればいい」
 「経済協力や貿易をもっと盛んにすればいい」
 「日刊平和条約を結べばいい」
 ……とまぁ、国語や社会の授業なら模範解答になりそうな立派な正論の数々だ。
 でも彼が一番高く評価したのは、そのなかでも一見幼稚でたどたどしい、こんな内容の作文だった- 「日本人と韓国人がお互いにひとりひとりともだちを増やしていけばいい」
 もちろんこれは正解のある試験じゃないので、その子だけ褒められて他の子は叱られるというようなことはなかった。
 ただ問題は、それを自分の手の届く〈現実〉としてとらえることができるか-ということだ。どこかで聞いたような「自分と関係ないフィクションの問題」ではなく。そして、これは子供たちよりも、むしろ大人たちの問題なのだ。子供たちは大人がつくりあげた情報環境に必死に適用しようとしただけだ。もちろん、この子の作文もバリエーションにすぎない、と言ってしまえばそれまでなのだが。
 殺人や自殺といった子供の事件に、しばしば作文がからんでいるのは、きっと偶然じゃないのだろう。それは仮想の言語環境と彼らの〈肚の中〉とのせめぎ合いが、いよいよ限界に達した臨界点で噴き出した、土壇場の自己表現なのかもしれない。彼らもまちがいなく〈肚の中〉から発する言葉を渇望しているのだ。
 山崎浩一『危険な文章講座』ちくま書房、1998。一部改変、中略あり

●問
「しょせんは自分に関係ない」仮想の問題でなく、まさに自分の問題としてあなたが切実にうけとめるのは、たとえばどのようなことですか。自らのテーマを立て、そのテーマについて考えられるところを、「〈肚の中〉から発する言葉」によって、1000字程度で述べなさい。
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担任のコメント: これだけ書けば(ワープロなので打てば)、担任の言いたいことは分かってもらえるでしょう。ちょっと長いので、読むのを拒否した人もいるかもしれませんねぇ。
 それはさておき、いやー山口大学人文学部、頑張ってますねぇー……。高校生というものは、問に対して正解となるストライクゾーンを想定し、それから玉(答)を投げ込んでくる。それが受験では普通の対応です(それが全ての日常生活で正しい方法とは限らないのだが)。しかし、そのストライクゾーンを設定させまいとする山口大学人文学部。この勝負、どうなったか結果を見てみたい気がする。

(10号)
現在、考査期間なので、このクラス通信はテスト後(5月末)に発行予定です。

文化部発表会の感想 

口頭でも言いましたが、なんだか私の高校生時代の文化部発表会を見ているような気分でした。私の母校でも文化部発表会と呼んでいて、文化部のステージ発表と展示が中心でした。数十年前のことです。2年に1度一般公開をしていました。その後、1980年代になると文化部活動は衰退し、多くの学校では文化発表会が成り立ちにくくなりました。文化部の力だけで、これだけの発表が維持できると言うことはすごいことだと思っています。
 ちなみに私は天文班(母校では文化部は部ではなく班と呼んでいました)で、太陽黒点観測の係をしていました。流星観測も大分やりましたが、懐かしい思い出です。

●経費削減のため、発行回数を減らし、裏表印刷にします。
(9号)