2009年9月22日火曜日

模擬試験受験のこと

 いよいよ模擬試験も中間点である。校内でおこなう模試もあと三つ(外部模試を加えるともう少しあるのだが…)。現在10月進研駿台共催模試の受付を行っている最中である。各自よく準備して受験してほしい。大学受験の判定の重要な資料になるでしょうから。

 上記に述べたことで、本論は終わりである。以下は、時間のない生徒は読んではいけない無駄話である。
 さて、私の学生時代は、それほど模擬試験は多くなかった。進研模試ぐらいで、夏休みに関関同立模試、夏休み明けに全統があった程度だ。したがって、何か受けようとすれば、大阪や神戸に出なければならなかった。大阪の私立高校、大工大、甲南大学などの会場で受けたことがあるが、なにせ田舎の高校だったので、行くのが大変だった。 朝1番の電車(5時頃)に乗るためには、4時起きである。お弁当をつくる母親は3時半に起きていたと思う。今思えば、親不孝なことであった。
 模試帰りには、大阪駅前地下街(今で言うところのホワイティうめだ)で、日本に出店したて(?)のマクドナルドというところで、ビックマックなるもの買って汽車に乗り込んだことが懐かしい。ついでに言うと、その汽車でコンサート帰りの同級生(女子)と一緒になったりして、むこうはコンサートの話題で盛り上がっているのに、こちらは、友人と模試の答合わせをしていたりして、世界が違うことを実感したりもした。
 さて、模試結果(駿台模試)だが、これが散々な結果であった。確かに当時の駿台模試は超難問で、偏差値50を超えれば国公立合格と言われていた。しかし数学は2点だった(大問Ⅰの答だけの小問が1点、3次関数の問題のグラフで1点である)。それでも偏差値が40を超えていたのが不思議なのだが…。それ以来、理系科目は諦め、数学では大問Ⅰの答のみの小問集合を徹底的に解く(ここが全問正解だと当時の駿台模試では偏差値55を超える)ように方針を転換したのであった。
 そもそも、K少年は、子どもの頃から理科と社会が好きだった。2年の終わり頃からサブノート作りをせっせとやっていたので、3年の前半は理科・社会はとっても得意になっていた。2学期初めの全統模試はピークにあたり、某有名大学にいけそうだったりして喜んだものである。しかし2学期後半から暗転する。これまで得意だった英語の伸びがパタッと停まってしまったのである。
 後から考えると、「他のみんなも英語をやりはじめたんだよね」と思うが、そのときは、あせってしまって、色々な問題集などに手を出したものの、ほとんど身につかなかったような気がする。つまり足が地に着いていなかったというわけだ。というわけで、3年の冬休みから二次試験までは、夢の中の出来事のような気がしたまま終わってしまった。
 英語はなかなか伸びない教科である。日々の努力がものをいう。ということは勉強しなくてもなかなか成績が落ちない科目と言うことも可能だ。しかし勉強しないとボディーブローのように徐々に効いてくる。そして一旦下がり出すとなかなかしんどいことになるだろう。
 不幸にしてここまで読んでしまった人だけに告げる教訓としては、
 ①英語は地道にやり続ける。
 ②得意科目はやりすぎない。
 ③あせったら負けである。

黒板入れ替わる

 教室に久しぶりに入った生徒は、気付いたでしょうか? 正面黒板が入れ替えられています。担任や主任が何度も事務にお願いした成果です。これで気持ちよく、学習がはかどりますね。
 あれではいやな思いをしてしまうだろう。教室の雰囲気もよくないだろうという、周りの人たちの思いがあったから、実現しました。言うならば余分の出費ですので、県民の税金です。そのことだけ一言付言しておきます。

いよいよ9月

 夏休みが終わった。学習は進んだでしょうか。担任の思うところをお伝えしたいと思います。
・別表のように、3年生の気持は11月に向かって下降曲線をとります(出典:ベネッセ資料、ブログでは省略)。
これは、
①夏休み勉強した割に?成績が伸びないこと。
②夏休み中は自分のペースで受験勉強ができたのに、授業が始まり、予習・復習の負担も復活するので、思うとおりの勉強ができないと感じること。
③受験前の焦り。
など、様々な要因が考えられます。
本校では異なるのですが、多くの学校では体育祭もあるので、行事に時間をとられるということによる焦りも加わるのかもしれません(その点、本校は有利?)

 さて、それではどのように対応すればいいのでしょうか?
・①の点ですが、勉強というのもはやったからと言って、すぐに伸びるんものではありません。数ヶ月ほとのタイムラグが存在します。そのタイムラグは科目によって異なります。英語や現代文はタイムラグが長く、地歴・公民や生物は短いと言われています。ですから、8月に頑張っていた効果は10月や11月の模試であらわれるかなあ、ということになります。今はやってもやっても効果の出ない時期ですが、がんばり続けるしかありません。
・②の点ですが、予習と復習は受験勉強と別物ではありません。基礎基本があって応用があると考えましょう。むしろ予習と受験勉強とを組み合わせることを考えましょう(そもそも受験勉強という特別な勉強があると考えることが変な気もしますが…)。例えば英語の予習をしながら出てきた構文を覚えるとか、類似問題をするなどが考えられます。この時期の授業は当然受験を意識した組み立てになってきていますので、授業を受験勉強のペースメーカにするという発想がいいでしょう。
・③についてです。焦るのは当然です。異常な焦り方はいけませんが、適度な焦りはよい結果をもたらす、程度の考え方で行きましょう。
 過日の進路研修会でこんな言葉がありましたので、紹介しておきます。
「もがけ、苦しめ、当事者になれ、その中からしか光は見いだせない」
 名言だと思いました。もがいたり苦しんだりすることを厭わないでほしいものです。
 殆どの人にとって、大学受験の勉強は、10代後半のこの時期にしか経験できないことです。それを楽しむゆとりはないと思いますが、そこから合格だけではなく、何かを(も)掴んでほしいと願っています。

 最後になりますが、日常の生活が大切です。受験生だからといって、特別扱いはありません(家庭でもそうあるべきだと思います。普段通り淡々と進むことが、落ち着いて勉強できるコツだと考えます。精神的にもその方がリラックスできるはずです。ですから遅刻なく基本的生活習慣を崩さず、服装にも留意して学校生活をおくるようにしましょう。
(クラス通信6号)

2009年8月23日日曜日

受験勉強における外科的治療とリハビリテーション

 進研模試の結果が返ってきました。どんな結果だったでしょうか。各科目や合計点、あるいは大学合格可能性判定ばかりに気をとられていませんか。
1..外科的治療
 模試結果の端から端まで眺めましょう。どの科目が悪いのか、どの分野が得点できていないのか、慎重に確認すべきです。
 怪我をして、だらだらと出血している状態をイメージしてください。もし自分の体が事故にあって出血していたら、止血をしたり手術をしますね。輸血をするかもしれません。
 今、君たちの点数を眺めて、極端に不得意科目や不得意分野があれば、君たちの学力はそういう怪我をして、出血している状態です。痛くないですか。そのような分野がある人は、即座に治療に入りましょう。対策を立ててください。大幅な手術が必要かもしれません。【裏面のstep3を検討します】
 さて、治療によりどの程度の回復を見込むべきなのでしょうか? それは志望大学の合格可能性に注目です。そこには「950点中あと○○点でB」などと、記されているはずです。これが回復目標となります。具体的にこの教科で○○点、この分野で○○点というように、具体的にイメージし、治療方針を決定します。【step2】

2.リハビリテーション
 話は大きく変わって、受験勉強体制に入るリハビリ方法です。これまで部活動を行ってきた生徒は、放課後になると体を動かしたくなる習性が身についています。おそらくお天道様が高いうちに、自宅の机に向かったことがないのではないでしょうか(笑)。このような生徒には、太陽が高いうちでも、机に向かえる体に作り替える必要があるでしょう。
 それにはやはり、強制的に机に縛り付け、慣れてもらうしかありません。そこで図書館などでみんなが自習している環境に身を置きましょう。そして強制的にやらざるを得ない状態にするのがよいでしょう。本校でも図書館は開いています。休みの日でも教室で勉強に励むものもいるようです。生活創造センターの1Fに陣取っている生徒もいます(一般者に迷惑をかけない配慮が必要ですが)。

3.内科的問題
 ついでに内科的コメント。様々な診断結果の数値を「ああだ、こうだ」とこねくり回す(?)のが、内科です。反対に、ぐちゃぐちゃ言ってねぇで、切って開けて見りゃ分かるだろう、というのが外科です(笑)。地歴について、数値から気づいたことをコメントします。成績のいい生徒とこれからの生徒を比較すると、最近学習した内容はどちらの生徒もそれほど成績に変わりがありません。しかしかなり以前に学習した内容に大きな得点差があることが判明しました。つまり、
・優良成績者:以前の学習内容を復習できている・成績不良者:最近学習分はできるが、過去のことは忘れている。
 ということが分かりました。このことは地歴だけでなく、理科など内容教科にも言えるのではないでしょうか。数学の先生におたずねすると、数学もIやⅡの内容は忘れているものが多い。ということでした。3年の夏休みですから、体系的に復習することも考えましょう。

体育祭または農村社会におけるハレ

 本稿の目的は、現代の消費社会と高校体育祭は相容れないことを説明することである。体育祭が学校社会におけるハレであることを説明するような当たり前のことを述べようとしているわけではない。しかしその前提がなければ、話が進まないので、まずその点から始める。
 民俗学では、生活時間をハレとケに分けて考えている。ハレとは「晴れ着」とか「晴れ姿」「晴れ舞台」のハレである。祝い事や祭りなどの非日常的な場面(時間)をハレとよんでいる。一方ケとはハレではない日常的な場面のことを指している。そしてハレとケは交代してあらわれると考えるのである。さて学校生活は前近代的な空間を残しているので、ハレとケを用いて民俗学的に説明できる。すなわち体育祭や文化発表会、球技大会、修学旅行などの学校行事はハレであり、通常の授業日がケというわけだ。卒業式や入学式もハレであるが、イニシエーション(通過儀礼)の意味も大きいと思っている。
 以上は、民俗学をかじっていれば、まあ考えつきそうな議論である。
 さて、このようにハレとケを学校に当てはめるためには、学校社会が前近代的な空間であることが必要である。
 
と、ここまで書いたところで(その時点で6月26日)、6月進研模試が返ってきました(7月2日)。そのことを書かなくてはならない、と決心しましたので、このエッセイの後段は次号とします。

体育祭黄団優勝で終わる


 さて、私は体育祭の朝、開会式の頃、総合庁舎の屋上から写真を撮ろうと、総合庁舎に入りました。ちょうど開会式がはじまる9時頃のことです。この日は休業日なので、役所はすべて休みです。
 入り口に入ると警備員さんがおられましたが、そのまま、エレベータに乗り込みました。すると、警備員さんが付いてこられて、一緒に屋上へ行きました。私が写真を撮っている間も、警備員さんが待っておられました。どう考えても私を怪しい人間と見なされたのでしょう。エレベータで降りるときに、「お仕事とはいえご苦労様です」と挨拶をしたのですが…。
 そんな苦労をして撮ったのが、以下の写真です。

理系バカと文系バカ

 本の紹介である。
「理系バカと文系バカ」竹内薫著 PHP新書(720円)
 次にあげた10の質問に「YES」「NO」で答えよう。
①血液型診断や占いが気になって仕方ない
②取り扱い説明書は困ったときにしか読まない
③たいていのことは「話せば分かる」と信じている
④ダイエットのために「カロリーゼロ」のドリンクをがぶ飲みしてしまう
⑤アミノ酸、カルニチン、タウリンなどのカタカナ表示にすぐ飛びつく
⑥「社会に出ると因数分解なんて必要ない」と言ったことがある
⑦「インド式数学」を学ぶより、電卓を使えばいいと思っている
⑧何でも平均値で物事を判断してしまう
⑨抗菌コートのトイレじゃないと入りたくない
⑩物理学と聞いただけで「難しくて分からない」と思ってしまう

続いて
①できれば他人と深く関わりたくない
②新型、最新テクノロジーの商品を買うために徹夜してでも並ぶ
③相手の関心のないことを延々と話す―女性との会話も下手
④独善的で、いつのまにか相手を怒らせている
⑤「もっと分かりやすく説明して」と、よく言われる
⑥分からないことは、何でもネットで検索してしまえ
⑦感動するポイントが人とズレている
⑧文系より理系の方が人間として「上」だと信じている
⑨UFOや心霊現象について語ることは犯罪に近いと思う
⑩意外とオカルトにハマりやすい
このチェックの解説は、本書で読もう。
 
 ①~⑩まで2種類の質問を用意しましたが、どちらが「理系バカ」、「文系バカ」かは考えれば分かるでしょう。
 そもそも、日本人は理系と文系に分けることが多いように思います。その端緒は実は、高校教育界にあるのではないでしょうか。例えば、進路指導をするときに、文系にいくか理系にいくかという指導がまず1年生のときに行われます。さらに理系・文系でクラスを固定し、途中クラス上文転、理転はできないことになっています。受験上、できないことはないですが、困難を伴います。かつては、理系クラスの担任をもった時には、「文転すると浪人覚悟だよ」などといって、脅したりしていました(笑)。
 理系と文学部の両方に学科がある地理学を学び、自然地理と人文地理の間を行き来している私としては、理系だとか文系だとかいっている場合ではないのであって、理系的発想も文系的発想もどちらも重要なのである。むしろ両者を横断的に行き来できる思考力こそ大事なのである、と思っています。
 近年、京大の理系学部で国語が入試に加わったり、国公立経済学部で数学が入試科目になったりしていますが、これが単なる理系重視ではなく、文理融合を目指す動きであってほしいものです。

2009年6月22日月曜日

あなたは右回りですか、左回りですか その3

この記事も、前年度分です。その1をアップしただけで、ほったらかしにしていました(-_-;)

 前回の出題:長い砂浜の海水浴場があります。浜辺には海浴客が均質(ランダム)に存在しています。そ浜辺にアイスクリーム屋さんが屋台を出しまた。どこにお店を出すのがいいかと聞かれれば中央部だと答えるでしょう。
 さて、この浜辺にもう一軒のアイスクリームさんがやって来て、お店を出そうとしていますどこに出すのが良いのでしょうか。またこの立戦争は、最終的にどうなるのでしょう(最終的に軒のお店はどこに立地しますか)。二店の商品類、品質、値段は同じです。非価格競争はないものとします
 解答例:最初に中央に出したお店をAとします。次に別のお店が出店しました。これをBとします。下の図のようなイメージです(図省略)。

 すると、Aは、客を奪われます(お客さんはAとBの中点で、分かれます)から、AはBの屋台側にすり寄っていきます。
 次に客を奪われたB店はAを飛び越え、左側に屋台を移すものと思われます。そうなると今度は、Aは右へ移動し、B店に接近します。

こうしたことを繰り返すうちに最終的には、砂浜の中間点でAとBは屋台を背中合わせにして、商売をするものと考えられます。海水浴客の半分ずつを相手にする状況で安定するでしょう。

 では今度は、直線的な砂浜ではなく、平野の真ん中でお店をつくればどうなるでしょうか。さらには種類の豊富な大きなアイスクリーム屋さんと小さなアイスクリーム屋さんならどうなるでしょうか…。と話しは続くのですが、もう説明する時間がないので、結論だけを書いておきますと、二つのお店の勢力圏は、店の大きさに比例し、距離のX乗に反比例します。何か思い出しませんか。物体の重力に比例し、距離の2乗に反比例すると言えば、万有引力の法則です。経済学(経済地理)の世界では、これを重力モデルと呼んでいます(帰納法的にはX乗は2乗だといわれています)。
 ちょっと話しが難しくなりました(途中をはしょったので仕方がありません)。まあ「職員室へ行くとき、右回りか左回りかという問題も、突き詰めていけば、万有引力の法則とつながる」という話しでした(詳しいことは3年の後半に授業でやります)。

あなたは右回りですか、左回りですか。 その2

 前回、職員室2年学年団から、2組教室へ行く際、西回りが近いにもかかわらず、東回りの先生が多いと述べた。その具体的データを示したい。職員に個々のインタビュー調査をした結果を以下に示す。
・K先生:3組は東回りと西回りで半々
・K先生・F先生・M先生:2組は東回り、3組は西回り
・T先生・T先生:3組は東回り、4組は西回り
・O先生:1組は東回り、2組は西回り
他の先生は、2組には行かないと解答。



 では、2組生徒はどうなのだろうか。教室から職員室の学年の先生に会いに行くとき、どちら回りで行くかを尋ねた。その結果、西回りが12人、東回りが20人、行かないが1人となり、職員と同様の傾向を示している。つまり遠回りをする生徒が多そうだ。この点については、検討をおこなう。それは職員室からの中間点が前入り口から6歩のところだということを考慮する必要があるだろう。教室の前後の入り口幅は9歩なので、6歩というのは、教室(教壇を除く空間)を2:1に分割するラインである。このラインを教室に延長したものが、職員室学年団との等距離線である。2組生徒の座席が教壇を除く教室空間に、均質に分布すると仮定すると、40人を2:1に分けるように圏域が形成されるはずである。すなわち、東回りには13.3人、西回りには26.6人程度に分かれるはずで。これが理論値である(この場合、調査の精度上、少数以下第一位に意味はないので、13人、27人と考える)。



 ところが、表に示したように、2組生徒への調査の結果は、逆の人数を示している。やはりここには、距離感覚を狂わせる要因、遠回りしてでも得られる正の要因、または近道に存在する負の要因があると考察できる。
 自然科学においては、理論の構築やその精緻化にそれなりの意味があるが、人間を扱う社会科学(人文科学)においては、考慮すべき条件が多すぎで、理論化が困難である。そこでこのような単純モデルと現実との残差を追究することが重要になってくる(このことは前号で前述した)。
 そこで、学年の先生に尋ねると、
・中庭を通して、HR教室が見えるので、感覚的に狂うのではないか。
・行きと帰りで一周する事が多い。近さは意識していない。
・3年生の学年団になれば、座席位置の関係で、必ず東回りになるのだが…
 などの意見がみられた。
 筆者の意見としては、生徒との対面接触を避ける。あるいは混んでいる廊下を避けるため、できるだけHR教室前を通らないのではないかと考えと、上記意見にあるように、職員室の窓から2組が東側に見えているので、そちらに歩いてしまう、という意見に賛成である。

 さて、この研究に何の意味があるのか、という問題である。最初に以下の問題を考えて見ましょう。
「長い砂浜の海水浴場があります。浜辺には海水浴客が均質(ランダム)に存在しています。その浜辺にアイスクリーム屋さんが屋台を出しました。どこにお店を出すのがいいかと聞かれれば、中央部だと答えるでしょう。

 海岸
        ●         
アイスクリームの屋台 

  この部分はワープロで作ったのでうまく反映されていません(多謝)

 さて、この浜辺にもう一軒のアイスクリーム屋さんがやって来て、お店を出そうとしています。どこに出すのが良いのでしょうか。またこの立地戦争は、最終的にどうなるのでしょう(最終的に2軒のお店はどこに立地しますか)。二店の商品種類、品質、値段は同じです。ハンサムなお兄さんが店員だとか、オマケなどの非価格競争はないものとします。

ホグワーツでは何故クリスマスを祝うのか その5

 これまでの考察では、中世キリスト教の浸透とともに、在来のアニミズムや民間信仰を駆逐し、最終的には魔女狩りのような形で弾圧をしていった過程を明らかにした。ではなぜ、魔法使いたちが弾圧者側のキリスト教の祭りであるクリスマスを祝うのかという問題を論じたい。
 クリスマス(Christmas)とは、キリストのミサの意味である。つまりイエスの誕生日であるかのように言われるが、事実はそうではない。新約聖書では誕生日を特定する記述はない。歴史学ではイエスの生誕は夏であろうと推定する説も見られる。
 クリスマスは遅くとも345年には西方教会でおこなわれていたようだ。345年の少し前に成立だとしても、イエスの時代からかなり離れている。
 ではなぜ12月25日なのか、その前後の祭りを調べると、正月とか冬至とかがみられる。実は冬至の祭りがもともとあったと考えるのが、分かりやすいだろう。古代の人々は太陽高度がどんどん下がっていくことに恐怖を感じていた。そこで、冬至の日に太陽の復活を祈る祭りをしたと考えられる。農耕が発生すると太陽信仰が重要になった。日本でも西洋でも同様である。ちょっと専門的になるが(世界史Bでは習うのだが)、古代ローマでは太陽を信仰するミトラ信仰が盛んだった。キリスト教の普及過程において、太陽信仰を取り込んでいった(転用した)可能性が高い。
 19世紀イギリスの文筆家ロバート・チェインバーズの『The Book of Days』(邦訳『イギリス古事民俗誌』)は、キリスト教の祝祭日前夜は厳格には断食と懺悔の時とされているのに、万霊節前夜(ハロウィーン)やクリスマス・イブは本来の目的をはずれて、どんちゃん騒ぎの夜になっている、と指摘している。。若者は森へ出かけ、ヤドリギを採ってきた。開放された領主の屋敷に小作人や農奴らが押しかけて、無礼講になった。丸太がくべられた炉が燃え上がり、高座にはイノシシの頭がおかれ、陽気な仮面隊が大声でキャロルを歌った、という。http://web.mac.com/saito_sy/
 さらにさかのぼると、かつて古代ブリテン島(現在のイギリス)に住むケルト人は、大晦日の晩に死霊が家々を訪ねてくる、と信じていた(当時の大晦日は冬至)。

 イギリス人はキリスト教に改宗したあとも、従来の慣習を排除せず、守ってきた。教会も古いしきたりをあえて追放しなかった。この方がはるかに効率的にキリスト教を伝道することができたからである。ちなみに、現在のキリスト教は異教との融合を認めていない。このことは魔女狩りの項目で述べたとおりである。
 同様のものに、万聖節がある。その前夜がハロウィーンで、これも本来ケルト人の祭りと言われている。しかしこれについて論じる紙面がない。

 といわけで、かなり大急ぎでクリスマスの起源を探ってきました。結論です。本来ヨーロッパには太陽信仰がみられ、冬至の頃に祭りがあったと考えられます。1年の始まりも冬至にあったのではないでしょうか。それをキリスト教が取り込んでいったわけです。ホグワーツでクリスマスを祝うのは、キリストの生誕を祝っているわけではなく、ケルト本来が持っている習俗を維持しているに過ぎないと考えるべきなのでしょう。この冬至のお祭りを奪って、クリスマスなどと勝手な名前を付けたのはキリスト教側だという訳です。

 中央ヨーロッパでは、中世にキリスト教が浸透し、このような在来の風習は表面的には姿を消しました。、しかしその深層にこのような信仰は居座り続けていたため、教会側はその対応に苦慮することになります。その過程については前回までに述べたとおりです。
 梶村先生の最終講義で、中世ヨーロッパの賤民の誕生について話されましたが、実はこのこととつながることになります。

 このように考えると、なぜ中世の中部ヨーロッパは、こんなに苦労してキリスト教を受け入れたのかという疑問が生じます。ニーチェが「キリスト教は邪教です」で指摘するように、キリスト教的世界観は、古代のギリシャ的多神教的世界観と全く異なるため、その受け入れのため、1000年以上も思索で苦しむことになります。ヨーロッパがやっとキリスト教を自分のものとできたとき、近代が始まるのだと思いますが…。なぜそこまでして受け入れたのかという疑問はぬぐえません。

ホグワーツでは何故クリスマスを祝うのか その4

中世キリスト世界の展開
 前段で、1300年頃を境として、教会の魔女に対する態度が厳しくなったことが明らかになった。この理由を考えるにはキリスト教がヨーロッパ社会に根付いていった過程を検討する必要があろう。本節では阿部欣也の学説に依拠しながら、この点について検討する。
 阿部(1974)は、「ハーメルンの笛吹男」の伝説を検討しながら、中世ヨーロッパにおけるキリスト教世界の浸透について論じている。阿部は時の断面を復原し、その復原した時間面の関係を考察するという方法で、精緻な検討をおこなった。このハーメルンの笛吹男の伝説は1284年とされており、まさしく森島が1300年頃を境として、と述べた時期と一致している。
 詳細な検討は省略して、要点を述べると次のようになるだろう(図面省略)。
 キリスト教が流入する以前の中部ヨーロッパ世界では、自然崇拝を基本とする社会であったと考えられる。多神教の世界である(Ⅰ)。キリスト教は地中海世界から北上し中部ヨーロッパに流入する。最初にこれを受け入れるのは支配者階級である(Ⅱ)。支配者階級はこれを支配の手段として重用する。この宗教は中世農村のミクロコスモスへと徐々に浸透する。この時期、キリスト教を信仰しながらも、民間信仰も捨てられてはいなかった(Ⅲ)。キリスト教と在来の宗教徒の対立について、阿部は「キリスト教会は祭の奥底にひそむ古代的・異教徒的伝統を根絶やしにしようと努力していたから、そのためのあらゆる努力を惜しまなかった」と述べている。ハーメルンの笛吹男の伝説はこの時期、徐々にキリスト教的解釈によって変容していくのである。
 さて、教会の力を高めるために、異教徒的(在来の)伝統に対して、とった手段は、それを取り込んでいくか、制限するか、弾圧するかである。多くの祭りは制限されつつ取り込まれていった。夏至の祭りがヨハネ祭に変化するのがその例だが、詳細は阿部氏の著作に譲りたい。為政者により下層民たちも徐々にキリスト教化されるのだが、弾圧されたものとして、社会の枠組みにとらわれない漂白民・放浪者(遍歴楽師)たちが残される(Ⅳ)。
 魔女狩りがこの後に時期に激化したことを考慮に入れると、魔女狩りはキリスト教化の最後の段階であったことが分かる。簡単に言えば、為政者はキリスト教を受け入れなかった人々に、弾圧を加え、これを一掃したと解釈できる。事実魔女狩りの後、ヨーロッパ社会は一神教社会となっていった。
文献
・阿部謹也(1974)「ハーメルンの笛吹男」ちくま文庫
・阿部謹也(2006)「近代化と世間」朝日新書
・F・W・ニーチェ「キリスト教は邪教です 現代語訳『アンチクリスト』講談社+α文庫」

これで、大体中世キリスト教については、概略理解できたと思う。本題は、ホグワーツでは何故クリスマスを祝うかである。そのためには、次にクリスマスとは何か、特にキリスト教以前におけるクリスマスの意味を考えなくてはならないだろう。

ホグワーツでは何故クリスマスを祝うのか その3

(b)魔女狩りとハリーポッターの世界
 前述のように、キリスト教世界における魔女観は1300頃を境として大きく変わっている。森島は1300年以前を平穏な「古い魔女」の時代、それ以降を険悪な「新しい魔女の時代」と呼んでいる。これがハリーポッターの世界観とどう関わるかが、問題となる。
 ハリーポッター世界の歴史によれば、最も古い記録は、紀元前382年オリバンダーの店(杖の店だが)創業であり、1000年までには993年頃のホグワーツ創設しか記録されていない。1296年マンティコアが誰かを傷つけ、裁判にかけられた記録が3番目に古い記録で、これ以後様々な記録が散見される。14世紀に2件、15世紀2件、17世紀3件となっている。こうしたことから、ハリーポッターの世界は、ホグワーツ校の創設から考えて、10世紀頃から徐々に始まり、12~13世紀頃に確立したとみるのが妥当である。これは森島の言う「新しい魔女の時代」の始まりと一致すると考えていいだろう。
 しかしながら、マグルの世界をあれほど騒がせた魔女狩りに関する記述は、ハリーポッターの世界における歴史には、全く触れられていないのは解せないことである。魔女狩りの歴史は、ビンズ先生の魔法史とバーベッジ先生のマグル学との両者の狭間に位置したため、どちらかの科目においても触れられなかったのかもしれない。(未完)
 

ホグワーツではなぜクリスマスを祝うのか その2

この記事は前年度のものですが、その1を書きながら、続きをアップしてなかったようです。

(3)キリスト教と魔法使い
 キリスト教は唯一絶対の神を信仰する宗教であり、神以外の奇跡を認めていない。したがって当然魔法は認められないわけである。
 ハリーポッターシリーズに関して、前ローマ教皇のヨハネパウロⅡ世は好意的だったといわれるが、ベネディクト現教皇は批判的だと言われている。キリスト教徒と魔法使いの関連については、もう少し歴史的に辿ってみる必要があるだろう。
(a)魔女狩りとキリスト教
 ヨーロッパにおいて、魔女狩りが広くおこなわれたのは、15~17世紀のことである。魔女狩りからはカトリック教会が権勢を振るった中世ヨーロッパのイメージがありが、実はそうではない。ルネサンスの花開く時代のことである。最も激しかったのは1600年を中心とする100年間のことであった。付け加えるならば、魔女狩りの最も激しかったのはドイツであり、しかも宗教改革後の方が激しかった。またドイツに次ぐのはスコットランドである。こうしたことから、カトリックよりもプロテスタントの方が激しかったと言ってもいいかもしれない(カトリックの分布は地中海沿岸のラテン系民族、ポーランドやチェコなどの東ヨーロッパのスラブ系であるのに対し、プロテスタントはイギリス・北欧、ドイツなどのゲルマン系が中心である)。
 森島(1970)によれば、12、13世紀頃までは魔女は、キリスト教は魔女に対してまだ安泰であったが、1300年頃を境として教会の態度がにわかに硬化すると指摘している。それまでの魔女は、いわば呪術師であり、それぞれの「犯行」に応じて量刑を求刑された。死刑になることはなかったと言われている。しかし、異端審問制が確立し、魔女の定義が「悪魔と同盟を結び、悪魔の助けを利用して不可思議をおこなうことに同意する者(1608『妖術論』)とされることによって、魔女は「異端者」に格上げされる。こうして、極刑(火焙り)とされることになっていった。
 18世紀末に魔女裁判が終了するまでに、どの程度の人々が魔女として処刑されたかについては、諸説あるが30万人とする説から900万人とする説まで様々である。(未完)

 参考:森島恒雄1970『魔女狩り』岩波新書
 ここでいう魔女には男の魔女も含まれる。魔法使いと言うべきかもしれないが、通例に従い「魔女」としている。

2009年5月14日木曜日

マイブーム

 紙面があまってしまったので、余談である。マイブームについてである。「レッドクリフ」に凝っているという話は、教科通信に書いた。雑文にしたためているということは、既に結論が出ている話で、マイブームは去ったといえるかもしれない。
 さて、現在のマイブームは「アリの飼育」である。我が家では昨年、サンタクロースがアリの飼育セットを下の娘にプレゼントしてくれた。電子レンジをつかって、半透明のジェルをつくるもので、室内インテリア用の本格的?なものである。
 公園で16匹のアリを採取し、最近5日ほど観察している。卵をもったアリが2匹ほどいるのだが、それを6匹ほどのアリたちが取り囲み、卵を護ることに必死である。巣穴は既に1cmほど掘れている。昨日は巣穴に卵を入れようとして失敗していた。4匹程度が偵察に、残りのアリは知らんふりである。
 働いているアリとサボっているアリの両方がいて、生徒の掃除風景を連想してしまう。

執筆後のメタ認知:上記文章は、結構うまく起承転結になっていると思う。

面談を終えて

 面談が終了しました(この記事を打っているのが、14日です。15日の昼には終了する予定です。面談をしていて、感じたことを箇条書きで述べておきます。

1.志望校の受験科目が分からない
 受験科目だけでなく、1次と2次の配点も分からない、という生徒が見かけられます。受験生になるということは、志望校が分かっているということです。

2.受験校のレベルが分からない
 ここでいうレベルとは、偏差値のことではありません。偏差値は模試によって変わります。最終的には偏差値で選ぶわけではありません。偏差値は目安です。最後の勝負は、合格最低点を1点でも上回る得点をあげることです(俗な話で、個人的には好きではありませんが…)。
 さて、ここでいうレベルとは、入試問題の難易(解きやすさ)です。しかも一般論ではなく、自分にとってのです。過去問を覗いてみて、自分の力とのギャップを知るのも一つの方法である。今から赤本をやれと言っているわけではない(念のため)。

3.自分の課題が分からない
 面談していて、どんな勉強をしているのか、と尋ねると返事が返ってこない生徒がいる。一方、「英語はこれが課題なので、こういう勉強を、数学はこれこれ」、というようにすらすらと答える生徒がいる。どちらがいいのかは明白であろう。今の自分にとって、何が課題なのか認識できていることが重要だ。そうすると自分の取るべき道筋(勉強内容)を考えることができる。

4.今日、今週、何をするかが分からない
 3で述べたように、課題とそれに対する解決法(勉強内容と勉強量)が明らかになれば、それをこなす計画が立てられるはずだ。それを配分すれば、夏休みまではこれぐらい、1週間でこれぐらい、というスケジューリングができる。
 今日何をするか答えられない生徒は、スケジュールが決まっていないといえる。惰性ではなく課題をもって取り組むとということは、今日とか1週間の勉強予定が言えるということだ。
(3号)

最近読んだ2話

 以下の2つの話題から、担任の主張を読み取り、簡潔に述べなさい。
・ペンシャープナー
 さて、原稿を書く準備が整った。といいたいところだが、なかなかそうはいかない。私のように長年この仕事を続けているものでも、原稿に臨むための気持ちを高めていくのが、けっこう厄介な作業なのである。(中略)もうひとつ集中の儀式に役立つ材料に、「ペン・シャープナー」というものがある。英語の訳すとpen-sharpener、つまりペン先を鋭くさせるものという意味である。いったい何のことかと思われるだろうが、ペン・シャープナーとは、文章のカンを鈍らせないために読む本や、原稿を書く前に読む、お気に入りの文章のことだ。(野村進「調べる技術・書く技術」)

・『海馬 脳は疲れない』
脳は変化したものを変化したままにしておく性質 (可塑性) がある。可塑性はすなわち記憶である。脳の中で、記憶を扱っている部位が海馬だ。人間の脳の中で最も可塑性に富んでいる。脳の奥の大切なところにあり、直径1センチ、長さは5センチ。ちょうど小指くらい。脳には、意識するしないに関わらず、たくさんの情報が入ってくる。その情報は一度ぜんぶ海馬に送り込まれる。海馬が、「役に立つ情報」と「役に立たないから忘れていい情報」とに仕分けをする。厖大な情報の中から、ほとんどはそのまま捨てられてしまうのだが、海馬は生存のために必要な情報を記憶する。(中略)脳の「やる気」を生み出す場所が側坐核。この神経細胞が活動すればやる気が出るのだが、なかなか活動してくれない。そのかわり、一度はじめると、やっているうちに側坐核が自己興奮し、集中力が高まって気分が乗ってくる。だから、「やる気がないなぁと思っても、実際にやりはじめてみるしかない」のだ。
http://www21.ocn.ne.jp/~smart/Kaiba0220.htm

地方国公立と地元私立大学


前号で「毒を食らわば皿まで」という話しをしました(笑)。ここでは教育費について考えます。一般に学費は私立が高く、国公立が安いのですが、様々な出費がかさみます。そこでそれらを合計した教育費で考えます。以下に示した内容とグラフは、小林雅之「進学格差―深刻化する教育費負担―」ちくま新書.に基づいています。
 学費とは授業料や納付金が主だが、通学費や書籍代も含まれる。一方、生活費は自宅外の場合にはアパート代が最もかかる。
 このグラフは日本学生支援機構資料(2006年度)のもので、1年間の学生生活費は最も安い国立大学自宅通学の場合で、学費約70万円、生活費約35万円で計105万円である。反対に最も費用のかかるのは、私立大学アパートの場合で、学費約135万円、生活費約112万円で合わせて247万円である。両者の差は約2.4倍、金額で約142万円の差がある。
 これはあくまで平均の話しで、国立大学では学部や学科によって殆ど授業料は変わらないが、私立大学では大きく異なる。理系の方が文系よりも高くなっている。私立大学の医学部では何千万円もかかるケースもみられる。ピンからキリまである。もっとも国立大学でも2004年から授業料に差ができる場合もみられるようになったのだが…。また、アパートの場合も色々あるし、首都圏と地方とでも異なることに留意してほしい。
 さて、注目したいのは私立自宅と国立アパートの学生生活費の平均が殆ど差がないことである(177万円と172万円)。国立大学アパートは授業料が安いが生活費が高い。一方私立自宅は授業料が高いが、生活費が安くなっている。
 結論としては、
高等教育の機会選択に関して、費用の点だけみれば、「国立大学(公立大学)アパートと私立大学自宅とは無差別である」ということを意味している。

勉強とは何だろう。

 過日の朝日新聞で「高まる私塾熱 支える塾」という記事を目にした。あの有名な進学塾「浜学園」のことを書いているようだ。
 さて、私が気になったのは、3段目の小学生とのコメントである。その前後のパラグラフを引用すると、
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 「学校は友達と遊ぶ所、勉強は塾でする」。共学難関校の洛南高付属中(京都市)を目指す西宮市の小学6年生(11)は笑顔で言った。(中略) 受験用の複雑な計算や図形問題の解き方、年号の語呂合わせなど、小学校では習っていないことばかり。「学校の授業は退屈だけど、塾の勉強はすごく楽しい」と目を輝かせる。成績順のクラス替えも「ゲームみたいで面白い」。
 「やる気を引き立て、分かる喜びを伝える。教師の力の差でしょう」と、西宮教室の塩谷裕弘主事は言う。 朝日新聞0904
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 この女子児童は勉強とはどんなものだと思っているのだろうか。図形問題の解き方や年号の語呂暗記が勉強だと思っているのだろうか。あるいは、思わされているのだろうか。本当の勉強とは何か教わっていないところが、不憫な気がする。
 勉強とは研究の成果を辿るのが本来であろう。万有引力の法則を学習するのであれば、その時代に分かっていなかったことと課題を提示し、その解決法を考えさせる中で、万有引力という概念を導入すると、事実がうまく説明できることを学習する。できれば実験や観察で証明できれば、なお良いわけである。社会科においてもその学習法は社会諸科学の方法によるのが良いとされている。
 無論、ニュートンの頃と全く同じ時代状況は作れないし、時間も足りないので、その設定は簡略化され、効率よく教授する方法が開発される。これが科学史の世界では「Disciplineディシプリン」と呼ばれるものである。
 話しは元に戻るが、勉強とは研究活動を簡略化して追体験するのが本来であって、そこに生じる喜びを経験することが、分かる喜び(=学習の喜び)であろう。無論受験勉強においては、そんなことに時間をかける余裕はないと言われるかもしれない。しかし本当の勉強の喜びを教えないで、いいのだろうか、という疑問が残る。特に小学校時代にそれを知ることが重要である。高校3年生では遅い。こうしたことを教えることができない(力量がない)ので、成績順でクラスを入れ替えるようなゲーム化で喜びを置き換えているのだろうか。少なくとも塾教師がこれを「分かる喜び」と表現しているのは残念なところである。
 ここでは内容探求教科について述べた。英語や国語(日本語)のようなリテラシー形成に関しては、別問題であることを付記しておく。(2号)

本日は進路HR

早速ですが、進路HRです。色々な説明があるので、要点を押さえます。
・この時期は、年間のスケジュールを押さえましょう。どの時期にどんな事をするのか、把握しましょう。
・先輩の体験に学びましょう。3人の体験記を読んで、どんなことが分かりましたか、あるいは印象に残ったことはどんなことですか。
 3点ほどまとめてみましょう。
(記述欄省略)

担任からのコメント
①毒を食らわば、皿まで
 理系なら国公立を目指すべきでしょう。研究費・設備・人的資源などどれをとっても、私立と比べ一定以上の水準があります(無論私立でも環境の整った大学があることは否定しませんが)。
 特に授業(研究)環境をよく見ましょう。理系においては、ゼミが少人数であることはとても重要なことです(文系だと人間的接触経験がヒューマニティ研究上重要になるのですが)。私立と国立の両方のゼミ指導を経験した上からもそう断言できます。
 そういうわけで、「近隣の私立大学か地方の国公立大学か」という議論がありますが、一般論では地方国公立をおすすめします。これには受験科目、学費、下宿費等を検討しなければなりませんが、それは口頭で。

②大学院進学も念頭に入れましょう。
理系生徒の多数は大学院へ進学する場合が多いようです(その率は大学や学部によって異なりますが、最低でも半分以上)。それは、昨今の技術革新の流れの中で、4年間だけでは最新研究や技術の修得に追いつかないからです。4年間だけではなく6年(あるいは、博士課程を含めてそれ以上)のスパンで、進路を検討して下さい。
③進路を自分で選び取る力を身につけましょう
先生や塾がそう言うから、この道を選びましたでは駄目です。他人からアドバイスを受けることは大事なことですが、それを鵜呑みにせず、データを調べたり、もとの情報にあたりましょう。進路選択は、大学受験だけではありません。これからの人生において、様々な選択があります。大学入学後も、他大学や他学部への編入、大学院進学、就職、留学、転職、内地留学…など様々です。自分でサーチして選び取る力を身につけましょう。 私の場合ですが、大学院進学を目指していましたので、高校2年生の時に地理学科(専攻)で大学院のある大学は調べ上げました。そして大学院のある大学への進学を目指したわけです。当時は学部と大学院で大学をかわるよりも、内部進学の方が有利と考えられた。
 しかし、大学4年生の時に気づいたのですが、
(中略)
 これ以上は、活字にはしにくいのでHRで話します。
 というような事実は、高校生の時には全く知りませんでした。高校生の時だれかが教えてくれたら、違う人生を歩んでいたのかもしれません(結局高校教師になっていたのかもしれませんが)。
 というわけで、②大学院のことも考えよう、③進路を選び取る力を身につけよう、という2点につながるわけです。

④集団の教育力
 塾と学校とはどう違うのでしょうか。色々な考え方がありますが、私は「集団の教育力」といえると思っています。
 紙面が尽きました。口頭で喋るか、通信に書きます。

クラス通信の創刊にあたって

クラス通信を発行します。タイトルをどうするか、考える余裕もないので、昨年と同じです。タイトルの意味は、理系ですから、考えて下さい。暇なとき発行しますので、不定期です。よろしく。
(創刊号)

2009年3月21日土曜日

あなたは右回りですか、左回りですか

 本校では職員室は本館2階に、2年生の教室は普通教室棟2階にある。東側と西側に渡り廊下あって、2つの建物はつながっている。教員はちら周りで授業に向かうのだろうか。学年団の生がたに対するいい加減な調査の結果、1組へかう場合は、東回り、3組~5組に向かう場合西回りで向かう教員の多いことが分かった。
 問題は2組である。職員室から2組へ向かう合、東回りの教員が多いのだが、果たして実際距離はどうなっているのだろうか。
 まず歩測によって距離を確かめてみる。教員出席簿を取ってから、教室に向かうと考えられので、出席簿置き場から、2組の教室入り口ま数えた。そして、2回の計測の結果、西回りは11歩、110歩で平均111.5歩となった。一方東回は124歩、122歩で平均123歩である。すなわち組の前入り口へは西回りの方が11.5歩ほど近い事が明らかとなった。

(地図省略)

 ついでに言うと、職員室からの中間点は2組入り口の左方6歩ほどのところである。問題は、なぜこのような認識の誤差が生じるかという問題である。

 一般に近代科学においては、理論的なモデル構築する事を目標としている。自然現象などで想定すべき条件が多くなるほど、現実値が理論から離れていく傾向が強い。人文現象を考えると人間の行動は極めて複雑な因子の組合せでおこわれるため、理論的なモデルの提示は難しいし現実との差はさらに開いていく。社会科学が科たり得るかどうかの議論はこの辺りに原因があそうである。
 さて、1960年代コンピュータの発達にともい社会科学は、計量革命にさらされた。理論をっと求めようというわけである。さらに理論値現実の値の残差にこそ意味があるのではないかいう議論も生まれた。
 紙面も尽きたようなので、次回は残差を求め立場から、この問題を議論する。
(次号に続く) 24号

行列について後悔の記

 私の高校生の頃は、2年生で行列なるものを勉強していた。今君たちが苦労しているあの行列である。計算は単純なのだが、他の分野と違って、かなり異質に感じていた。「なぜこのようなこと(行列計算)をしなくてはならないのか」という疑問が、どうしても分からなかったのである。数学の先生にもn行n列の数列について質問したり、逆行列について質問したりした記憶があるが、どうもしっくりこなかった。そのような思いのまま、数学からは遠ざかってしまった。すでにこの頃には、理系をやめることを決めていた(当時は3年で類型を最終決定していた)が、行列をする必然性、ひいては数学という勉強の意味が分からなくなったというのも、遠因であろう。もちろん勉強について行けなくなったから(?)、というのは無論のことである。
 さて、話は大学卒業の頃にまで飛ぶ。当時は、パーソナルコンピュータが売り出されはじめたばかりのことである。5万円程度のパソコンをもらって、ディスプレイ代わりの白黒テレビに繋ぎ、Basicで何か計算させるようなことをしていた。地理学科の院生だった私(沖積平野の地形勉強中)は、パソコンで地形を描画することを試みていた。地表の等高線をメッシュデータで入れて、ビューポイント(地形を見る位置)を変えると地形の見え方が、変わるというプログラムをつくりたかった。今日、コンピュータゲームやテレビ番組で、動くコンピュータグラフィック(CG)があるが、あれの地形版である。
 なぜかNECに入ってしまった友人に、そのことを尋ねると、「それは行列だ」という。簡単にいうと「一次変換」をするのだという。そういわれるそうだ。大量の標高データを一度に変換するのだから、行列が適しているのだ。そこで私は「はた」と手を打ったのである。そういえば、高校の教科書には行列の所に、猫の絵が一次変換すると、ひしゃげてしまう、という教材が載っていたではないか。そうだったのか。しかし高校をでて、すでに5年、地形のCG化の道は諦めざるを得なかった。こうして文系人間として今日に至るのである。
 ここで教訓めいたことをいうとするならば、「学校で習ったことが、いつ、どこで役立つか分からない」、「高校時代の勉強は、人生の基礎だから、きちんとやっといた方がいいよ」と言うことである。 (2006年5月記)

もうすぐ冬休み

その1 学級通信のことが、最近クラス通信にあまり出ていません。これは絵しりとりの絵をスキャナーで読み込むのが大変だからで、どうするかは検討中です(絵しりとりが終わるまで待つ?)

その2 もうすぐクリスマスです。クリスマスと言えば、様々な疑問があります。
 キリスト教とは西アジアの半乾燥地に生まれた一神教なのに…
・なぜ25日が生誕祭なのに24日夜に祝うのか。
・そもそも夏にイエスは生まれているのに、なぜ12月25日に祝うのか。
・12月25日が新年や冬至に近いのは何故か。
・冷帯林(針葉樹)であるモミをどうして、ツリーにして飾るのか。
・サンタはなぜ、ツンドラ地方に生息するトナカイに牽かれてやってくるのか。
・キリスト教徒が多くない日本にこれほどクリスマスが定着したのは何故か。
などなど…疑問の解けたものもあれば、分からないものもあります。

21号

研究とは何か

 先日、学年集会がありました。その時に感じたことをSHRで少し話しました。改めて検討したく思います。まずは学年主任のお話からです。
 T先生は冒頭、K川駅前は30年前と大夫変わってきている、と話されました。昔は人の流れがもっともあって、賑やかだった。でも今は閑散としている。むしろ東K川駅前の方が賑やかだ、という内容でした。
 これは極めて地理的な問です。2つの視点、「K川駅前と東K川駅前という地域による違い」、「30年前と現在という時代による変化」、すなわち空間と時間を比較して、なぜそうなるのかという問を立てられたわけです。これはなかなかすごいことです。
 教育の世界では「問い」と「答え」は、難しい問題です。生徒に知識やスキルを教授することはできますが、「疑問を持たせ、問いを立て、その問いに自ら答える」ということは、なかなかできません。教師による指導方法も確立しているとは言えないでしょう。なかでも生徒に質の良い「問い」を立てさせることは、困難です。
 今、「科学者という仕事」(中公新書)を読み直しているのですが、この中に「科学のセンス」の章の中で、このように述べています。

 物理の講義で聞いたことのある「究極の試験問題」を紹介しよう。これが解ければ、あなたはすぐれた研究者である。
 問題1 何かおもしろい問題を考えよ。
 問題2 問題1で作った問題に答えよ。

 そう言えば、大学3回生の時、自然科学概論で同様の問題を出題されたことがあります。それは夏目漱石の「我が輩は猫である」の冒頭が配られ、自然科学的な問題を作って、解けというものでした。悩んだ末に猫を竹藪に運んで捨てるところに着目し、放り投げられる猫の落下運動を計算した記憶があります。さすがに自由落下では面白くないので、投げあげ運動にしたような…。しかし友人は文章中で猫が運搬中揺らされて目を回したところに注目して、猫をジェットコースターに乗せて、運動量を計算したらしい。私は「負けた」と思いました。
 さて、学年集会では次にT’先生が、理系の多くの生徒は研究職になるのでは、と話されました。就職先は大学・研究機関・企業と様々ですが、大多数の生徒が大学院に進学し、研究者や技術者につくのではないでしょうか。大学の研究室(卒業研究、論文指導)では、研究の手法を学ぶのですが、研究のテーマを立てるのは難しいものです。まず学生の力で解ける(解けそうな)命題でなくてはなりません。テーマに基づき仮説を設定して、それを証明していくわけです。良いテーマを立てるには、その分野にある程度精通している必要があります。実は良い問いが立てられれば、論文はできたも同然です。問い(テーマ)を立てられない理系学生の多くの場合、指導教官からテーマを与えられて実験・観察、フィールドワークをおこなうのが通例ではないでしょうか(文系はちょっと異なりますが)。
 というわけで、「問い」というものが、研究において大事であることを述べました。理系なら、高校でもちょっと意識しておいて下さい。話題を変えます。ある大学(H大学)で、この問いの問題を追及しようと、付属小学校で研究を行いました。その結果、問いを立てることができる児童ほど多くの知識をもっているという結果が出ているそうです。問い(すなわちクリエイティブな発想と言うべきかも)は、情報量に裏付けられているのです。高校の勉強というと暗記することだと思う人が多いのかもしれませんが、ある意味それは正しいことなのかもしれません。将来、クリエイティブな発想をするための土台作りをしているとみなすことができるかもしれません。むしろそれを見通しながら、それぞれの教科において、知識理解を求めたいものです(無論、知識理解だけでなく、思考力や態度形成も重要ですが。なお、研究と教育の違いについては、別の機会に譲りたいと思います。
 さて最後に、谷先生の「問い」に私なりに2つの観点から答えておきたいと思います。これが正解かどうかは知りませんが…。まず1つは日本全体におけるモータリゼーションの進行があげられます。車社会化が進行することによって、駐車場の少ない都心(K川市では寺家町周辺)へ来ることが難しくなりました。むしろ駐車場の整った郊外のショッピングセンターで遊んだり、買い物をした方がいいわけです。アメリカでは「独立する郊外」と言われています。2つ目は、東K川とK川の駅前の地域性の違いです。どちらの街も住宅都市の駅前ですが、K川の方がまだ都心機能が高いと考えられます。つまり東K川の方が衛星都市的性格が強いと思われます。大阪・神戸へ通勤する人々がKより多いわけです。駅前の賑やかさはその反映です。難しく言えば、京阪神大都市圏の圏構造とK川市の都市構造の問題と言うことになります。
 思いついたのは、これぐらいです。今述べた仮説に基づき、人口統計処理をおこない、街頭調査をおこない、住宅地図から商業機能度を計算すれば、上記仮説は証明させるでしょう。こうして、仮説が証明されたとき、研究は(一応)完成します。このプロセスが研究です。